北条氏康             永岡 慶之助

学研M文庫

後北条氏は備中の伊勢新九郎後の北条早雲が、今川氏を助けた功により、興国寺城主になったことに起源を発する。やがて、伊豆さらに相模を支配し、小田原に主城をかまえることとなった。二代氏綱は足利義明と組んだ里見氏を撃退するなど、確実に地歩を固めるとともに、武蔵・相模から伊豆・駿河へと転戦を重ねた。

三代目が主題の氏康で16歳のときに江戸城から上杉朝興を追いやるなど勇猛で知られた。この作品はその氏康の転戦記をエピソードを添えながらまとめている。そのいくつかをあげると

鴻台合戦

氏綱が氏康とともに小弓公方義明を擁する里見義尭軍と対決、これを破る。

河越夜戦

今川氏の長窪城攻略に呼応して、関東管領上杉憲政等は古河公方足利晴氏を擁し、大軍で北条方の将福島綱成守る河越城を囲む。長期篭城の後、援軍の氏康は和平を乞うようなそぶりを見せて油断させたのち、夜陰に乗じ一気に攻勢をかけ、駆逐してしまう。やがて平井に立てこもり女色にふける憲政北条軍が襲う。

(三国同盟の成立)

(今川義元、信長に討たれる)

氏康篭城

今川義元の死とともに上杉軍が攻め寄せるが、篭城し、守りきってしまう。

第二次鴻台合戦

鴻台合戦から25年後、義尭の子義広と三楽斎太田資正が押し寄せるが跳ね返す。

(今川氏真・武田信玄の決別)

(薩田峠での今川軍消滅)

三郎氏秀争奪戦

幼くして武田信玄の養子として甲斐に送り込まれた三郎氏秀は、また相越同盟により上杉謙信の養子となる。武田の妨害を振りきり、越後に到着、その後景虎と名乗るが、謙信死後、直江兼継等のおす景勝に御館の乱で敗れた。