深い河       遠藤 周作


講談社文庫


磯辺は、何十年連れ添った妻を癌で失った。妻は「わたくし…・必ず…生まれかわるから、この世界の何処かに。探して…・わたくしを見つけて…・約束よ 約束よ」と言い残した。生まれ変わりについて書いたヴァージニア大学の学者に問い合わせた。「生まれ変わりがあるとは決して断定できないが、それを暗示するような現象が世界各国で起こっています。」
成瀬美津子は、学生時代遊び仲間から「モイラ」という渾名をつけられた。小説「モイラ」の主人公通り、彼女は仲間に乗せられてまじめ一方の神学生大津を誘惑する。関係して日曜日教会に行くことを止めさせる。平凡な富裕な男と結婚するが、彼は俗物だ。新婚旅行でパリに行ったおり、夫と別行動をとり、今は神学生になった大津に再会する。しかしその大津は、日本人の心にあうキリスト教を考え、修道会から異端の傾向があるといわれている。その後美津子は、大津がインドに渡ったと知った。
児童文学作家の沼田は、幼い時大連に住んでいたが、父と母が離婚し日本に戻った。その上結婚後結核をわずらい長期入院した。その寂しい心をを経験した。その寂しい心を慰めてくれたのは最初は犀鳥、次は妻が持ってきてくれた九官鳥だった。彼は鳥に恩義を感じ、いつか野生のそれを見たいと考えていた。
木口は、戦争中ビルマで死の行軍を体験した。餓えで死に掛かった時、塚田という兵隊が助けてくれた。戦後事業に成功し、塚田を助けるが、彼は無茶酒を飲み、ガストンというボランテイアの外人に面倒を見てもらいながら、死んでいった。彼はあの行軍の中で人肉を食ったことが忘れられなかったのだ。
インド旅行に参加したのは以上4人、カメラマンで新婚の三條夫妻などだった。磯辺は生まれ変わった妻を、成瀬は大津を、沼田は野生の九官鳥を、木口は亡くなった戦友の面影を、求めて参加した。
ガイドの江波が言うまでもなく、インドは暑く、貧しく、淫猥なところだった。彼の見せたチャームンダーの像はインドの聖母マリアみたいなものだが、「清純でも優雅でもない。美しい衣装も纏っていない。逆に醜く老いはて、苦しみに喘ぎ、それに耐えている。インド人と共に苦しんでいる。」女神だった。ヴァーラーナスイは死に行くものがガンジス河に流されるために集まる町だった。死体が運ばれ、それが焼かれ、そしてガンジス河に捨てられて行く…・・ヒンズー教徒たちはその河に入って身を清める。
たまたま木口が熱を出したこともあって、美津子は看護の為に、磯辺や沼田も自己の目的達成のためにヴァーラーナスイにとどまることになった。磯辺の妻を求めて占い師にまで頼る話、成瀬のカトリックの世界を追われヒンズー教徒と共にすごす大津との再会、九官鳥を買い入れはなしてやる沼田の話、などが続く。それは彼らにとって自分を取り戻す旅でもあった。
ガンジス河はそれらすべてを飲み込んで今日もゆっくりと確実に流れて行く。

この書はある意味では、キリスト教とである作者が、我々にとってキリスト教はどうであるかを考えつづけその結論であるようにも思える。神は、キリスト教にも仏教にもヒンズー教にも存在している。いづれも立派な神であるが、いずれも完全ではない。なぜなら不完全な人間によって我々に伝えられてきたからだ。しかし私はキリスト教から離れる積もりはない。なぜなら私はキリストに捕らえられたからだ。
私は一方で口先や形式だけの善意あるいはキリスト教を憎む。人を愛したこともなく神は愛である、などと教条的に言ってみたり、キリストの実際にはありもしなかった奇跡をならべてありがたがってみせたり、ローマ教会という形式主義のみを重んじる人々を軽蔑する、本当の神は苦しみを共に分かち合うことの出来る人だ…・うまく言い表すことが難しいがそんなところが彼の結論だろうか。

・ まぶたのなかには死屍累々としたあの「死の街道」…・うじ虫が鼻や口のあたりを這いまわっている、まだ生きている兵隊の姿が目に浮かんだ。彼はその苦しみをまったく無視してすべてを裁く日本の「民主主義」や「平和運動」を心から憎んだ。(145p)
・ 神はいろいろな顔を持っておられる。ヨーロッパの教会やチャペルだけでなく、ユダヤ教徒にも仏教の信徒の中にもヒンズー教の信者にも神はおられると思います。(196p)
・ でもキリスト教は自分たちと他宗教とを対等と本当は考えておりません。(198p)
・ 結婚生活は、ひっそりとして単調で充分なのです。…・・平凡で、ひっそりとして単調な…・要するに磯辺の言う良妻が、時間が経つに連れ、だるくなることには触れなかった。(207p)
・ 玉ねぎがこの町に寄られたら。彼こそ行き倒れを背中に背負って火葬場に行かれたと思うんです。…・玉ねぎがキリスト教だけでなくヒンズー教の中にも、仏教の中にも、生きておられると思うからです。(300p)
・ 玉ねぎは彼らの心の中に生き続けました。玉ねぎは死にました。でも弟子たちの中に転生したのです。(302p)
・ 磯辺は自分には生活のために交わった他人は多かったが、人生の中で本当にふれあう人間はたった二人、母親と妻しかいなかったことを認めざるを得なかった。(308p)
・ すべての宗教は同じ神から発している。しかしどの宗教も不完全である。なぜならそれは不完全な人間によって我々に伝えられてきたからだ。(310p)
000614 r031112
(1993 70歳)