田舎教師 田山 花袋
新潮文庫
明治34年、林清三は親友の加藤郁治の紹介で羽生在の弥勒の小学校にでることになった。近くの成願寺に寄宿し、休日には行田に住む父母や加藤を尋ねる。家は貧しく給与から送金しなければならぬ状態だった。
清三は文学を志しており、仲間を募って「行田文学」なる雑誌を刊行しだすが失敗する。友人北川の妹美緒子にほのかな恋心を寄せるが郁治にとられてしまう。やがて友人たちは東京の学校に入学するなどして次々に去ってゆく。彼のところに来るのは萩生秀之助くらいになった。しかし「人間は理想がなくてはだめです。」と主張する清三は必ずしも尊敬していない。一度東京に出て検定試験を受けるが散々な出来であった。
孤独に陥った彼は女郎や通いを始めるがたちまち金が底をつき、女には逃げられて散々である。この頃から体が何かはわからぬが衰弱してくる。郷ではたとえば郁治の妹雪子でも嫁にもらって身を固めたら、と薦めるがそれも断る。諦めからか心を入れ替えて子供たちを相手に普段の仕事に力を入れだすが体はますます衰弱してくる。とうとう専門医にみてもらうこととなったが・・・・・。
夏目漱石の「三四郎」もこのころの若き青年の右往左往ぶりを描いたものだが、こちらは何か方向の定まらぬ生き方である。筋立ては当たり前すぎるくらいである。
しかしこの小説の魅力は当時の田舎が目に浮かぶような細かい丁寧な風景描写である。「紀行文として優れている」くらいのことが書評にあったがそのとおりだ。
「四里の道は長かった。その間に青縞の市のたつ羽生の町があった。田圃にはげんげが咲き、豪家の垣からは八重桜が散り零れた。赤い蹴出を出した田舎の姐さんがおりおり通った。羽生からは車に乗った。・・・・・」(1pのでだし)
021223