角川文庫
岩田氏は、慶応大学を卒業し、昭和大学の助教授となった我が国屈指の脳外科医であったが、50才を前にして突然悪性脳腫瘍に犯された。最初は希望的観測をしたが、やがて、もう助かる見込みが無いことを知った。
そこで彼はみずからの患者としての体験を書き残したいと考えた。編者河野浩一は、日記と対談を通じて、彼の死への恐怖、エリートコースから振るい落とされて行く焦燥感、治療の苦痛、手術、検査に対する患者側として見た意見、妻への愛、幼い娘への思い等を知った。本書はそれらをドキュメント風にまとめたものである。
1997年1月、岩田氏は講義や患者の手術にがんばっていたが、頭痛に悩まされた。まさか、とは思いながら、内緒で頭部のMRIを撮ってもらった。脳腫瘍であることがはっきりした。知られたくなかった、しかし手術はやらなければならない状態だ。ついに担当教授に告白。再度造影MRIを撮るが、hopelessと分かった。つらい日々が過ぎ、4月に入院、検査、15日についに運命の切除手術を行った。麻痺も視野欠損もなく成功に見えた。リハビリ中にバルーンの不快感などを経験した。
しかし再度のMRIにより、神経膠細胞腫が発見された。死刑の宣告と同じで、残された時間は1年。退院して大学に戻りながら、放射線治療を受ける。頭を固定され、惨めな状態で治療を受けなければならない。6月になって味覚障害が現れ始めた。何を食ってもうまくない。髪が抜けてくる。ゴルフ等で体力が落ちてくるのが分かる。
7月に再発が確認された。再手術を受け、一応は成功。今回の検査で左半盲で視野が狭くなってしまった。8月に大学に復帰願いを出したが、もはや能力的に仕事をこなせるかどうか不安だった。8月にやっと50才の誕生日。
10月再再発、再再度の手術…・・。
余命がない、と言っても自分の欲望は捨て切れないものだ、などと感じないでもない。しかし、一方で心から脳腫瘍が恐いと思っています、とことん生きたい、などに悲痛な叫びが感じられ、自分自身の問題に正面から立ち向かっているところが、読者の共感を呼ぶ。以下に私が何かを感じたところを抜書き。
・私の世代の男性では、子供のおむつを替えたり、まして仕事を休んでまで育児を手伝うなんてことは、まず考えられないことでした。私自身、出産にたちあいもせず働いていましたし、家庭を守り、子育てをするのは妻の役目だと思い込んでいました。そして、子育ての手伝いなんて、それこそ一切しませんでした。ある意味では私自身、娘とどう接していいのか分からないというのが、正直なところなのです。(171P)
・一人は自分は小細胞癌であると言っていたが、シロウトは何も知らないで、じつにうらやましい。(187P)
・素人は自分は小細胞癌であると言っていたが、シロウトは何も知らないで、じつにうらやましい。(187P)
・いくら化学療法や放射線治療を施しても、患者さんは副作用で苦しみながら、ほとんどベッドに縛り付けられて残りの人生を過ごさなければならなくなる。そんな、明らかに効果が期待できない癌に対して、むりやり化学療法や放射線治療を施す必要があるだろうかということです。(188P)
・膨大な費用をかけて延命治療が行われています。医療費を増大させるばかりか、患者本人の苦痛をも増大させているのです。(234P)
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