伊藤博文と安重根       佐木 隆三


文春文庫

扉をあけると公判請求書に続いて、四章立てのストーリーが始まる。
第一章出立は、1909年10月14日、伊藤蔵相がハルピンで今後の満州の統治についてロシア、ココーツオフ蔵相と議論すべく新橋駅を出立するところから始まる。日露戦争、その結果を受けての満州と満鉄経営などが語られる。ここで出発に先立つ三ヶ月前に韓国の併合を事実上決めていたことは注目する必要がある。一方で沿海州ポシェトに住む安重根の生い立ち、「東学党」の乱、第二次日韓協約、韓国統監府の設置、第三次日韓協約、間島地方での連合大韓義軍なる反日ゲリラの組織、断指同盟提唱などが語られる。やがて安重根は伊藤博文が満州に来るとの情報を得る。ついに兎徳淳を誘い、ポグラニチヌイを越え、ハルピンに向かう。
第二章凶変は、通訳と言う名目で曹道先、劉東夏を巻き込み、伊藤の動きを探る。襲撃場所が蔡家溝、ハルピンの双方が考えられたため、安重根は曹道先のみをひきつれてハルピンに向かう。撫順炭坑等を視察した後、伊藤はハルピンに向かう。伊藤が駅頭で閲兵が終わり、日本人歓迎者のもとに戻ろうとした時に銃声、伊藤は即死、随行者数人が負傷、安重根等はその場で取り押さえられた。
第三章曠野は、事件の関係者の逮捕、取り調べの様子が語られる。ここで面白いことは、ハルピンは中国領だが満鉄線上はロシアが捜索権を持っていたため、ロシア官憲が容疑者を逮捕、領事館経由で韓国人の国外犯罪に裁判権を持つ日本に引き渡している点だろう。調書が開示され、安重根が伊藤博文を襲うにいたった心情が吐露される。
第四章終焉は、論告、求刑など。結局安重根に死刑判決で首吊りにより執行される。死刑直前に園木通訳、監獄医、典獄などが、安重根に心をよせ、揮毫してもらう。

日本では千円札に伊藤博文の肖像が描かれている。ところが数年前韓国の切手に安重根が描かれているのを発見して驚いた。英雄もその立場によってこうも変わるものか。この書はそれがきっかけで読む気になった。
記録を元に、伊藤博文と安重根の動きを交互に描きながら、そこにこれまでの日韓関係の経緯などを書き込む地味な書き方である。しかし書かれた内容の奥を考える時、心打たれるものがある。

・ 第二のモスクワと呼ばれるハルピン(129p)
・ 「清韓通商条約」第五条で、清国領土内における韓国人には韓国法を適用するとして、韓国の領事裁判権が認められている。したがって、今回の事件につき、ロシアもしくは清国に裁判権はない。在ハルピン日本総領事は、日本人を管轄するものである。単に条約面から見れば、日本官憲は、外国人である韓国人を管轄しない。しかし一九〇五年十一月十七日に締結した「日韓保護条約」の第一条で、韓国外の韓国人の保護は、日本官憲が行うことになった。(173p)
・ 安重根のいう伊藤博文殺害理由。
閔妃殺害(当時伊藤は第二次内閣首班)、第二次韓日条約(1905、全権大使)、第三次韓日条約(1907、全権大使)、ハーグ密使事件による高宗退位(統監)、韓国統監としての伊藤の施策、その他孝明天皇の毒死などの思い違い。(187p)
・ ハーグ密使事件(213p)
・ 伊藤公も少壮のころ、品川のイギリス公使館に放火して尊王攘夷を唱え、安と酷似した行為が数々あった。(266p)
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