文芸社
中浦の水飲み百姓のせがれ、源造は野武士に因縁をつけられ、異人に奴隷たちに売り飛ばされた。しかし頭の良い彼は、ミケルに掛け合って、奴隷たちの鎖を外させ、共同の井戸を掘るなど、早くも能力を発揮し出した。源造の母たつは必死に源造を探し、長崎まで来るが見つからぬ。彼女はジュアンノを頼り、次第にキリシタンの道を歩むようになる。やがて南蛮船オイゲル号は、源造、知り合った縫之助、ほのかに恋心をいだくおしず等を乗せ、マカオにむけて出帆する。
奴隷たちを動物としてしかみない南蛮人、暴風雨、それらと戦いながら日本語の達者なノイマンの尊敬を得るようになる。改宗を勧められるが、「キリスト教では、罪の償いとして男には労働を、女には妊娠の苦しみを与えた。働くのは罰なのだ。」など源造にはその考え方が理解できない。やがておしずと深い関係。マカオ入港時に彼はおしずと逃亡。一時は成功するが捜査が厳しくなり、海を渡って中国に出ようとするが発覚、捕らえられ、焼き鏝をおされる。改宗した母たつが金を払い、源造は、いったん自由の身になるが、離されたおしずは自殺してしまう。
おしずのために立派な墓を作りたい、と考えた源造はふたたび奴隷として働くことを決意。国元にも帰らぬことを告げ、オイゲル号でゴアからリスボアに向かう。
リスボアではゴンザレス一家の元で働く。女主人のオリビアには格段の好意を受ける。そし奴隷から解放されるが、ここでも二人の考え方の違いが鮮明になる。
「人間にとって一番大切なことは男は戦うこと、女は愛することよ。肉体労働なんて奴隷だけがすることじゃない。」
「おれの国では働くことが生きることだ。大地に鍬をいれること、それが生きることだ。」
一方日本では徳川の世になり、キリシタンは禁制となり、各地で追放劇がはじまった、たつの身にも危険が迫ってきた。
作者は、ポルトガルにはじめて来た日本人は「天正少年遺欧使節」である、とのヨーロッパ人が作った歴史に疑問を持った。現地を訪れ「なんでもいいから四百年前の日本人の消息をつかみたい」と頼み込んだ。その結果がこの一冊である。その結果、何の事はない。「最初にヨーロッパに渡った日本人は奴隷」で、それも決して少ない人数ではなかったのである。(392P)
ドラマ性も高く非常に良く出来た作品と思う。遠藤周作の「侍」など一連の作品とこの作品における西欧文明と日本文明のぶつかり合い比較が面白い。また、どちらもカトリックの布教の陰に隠された闇の部分を的確に捕らえているところが印象的だ。
リスボンの記述は、私は3度ほど行ったことがあり、非常に懐かしく思いながら読んだ。
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