攘夷の韓国開国の日本     呉 善花


文春文庫

韓国の歴史学会には「日本の奈良時代に韓国人が96%を占めていた」「日本文化の大部分は韓国の文化がそのまま伝えられた物である。」「移住した人は滅亡した王室の指導層と最低層(たとえば韓半島では生きていけない罪人・貧困者・浮浪者)であり、いづれも韓国に対して強い恨みと敵対心を持っている。その子孫だから日本人は反韓的なのだ。」などというとんでもない妄想史観がはびこっている。また韓国人は日本人を技術民だ、政治と詩文を愛する文人こそ「人間」だなどと見なす傾向がある。いづれも韓国人の日本人に対する劣等意識の裏返しで情けないことだ。

作者はそこに「さすらい人」という概念を導入する。故郷を追われた民が、さすらいの後、日本に到着し、征服するとか、領土を確保するという概念ではなく、そこで同化して行くという考えで、おおまかに(1)渡来(2)さすらい(3)日本化(4)土着という4つの過程に分類される。古代の韓半島文化はそのまま日本に移植され、延々と続いた訳ではなく、渡来文化と日本文化が長い時間をかけて融合してゆき、現在もなお続いていると解釈するべきだ。作者はそのような視点から韓半島経由で渡来した文化や人がどのように日本で受け入れられ、どのように日本文化となり、日本人となっていったかを知りたいと考えた。それはまたいったん壊れてしまった作者自身のアイデンテイテイ再生への道でもあった。
飛鳥、奈良を訪問して、飛鳥仏や百済観音、あるいは法隆寺は韓人の影響が見られる一方で日本独自の様式が取り入れられている、ことを知った。
藤原京の遺跡を尋ねて日本の古代の都城には城壁がないことを知った。日本独特のものでもし韓国人が、独力で作ったというなら城壁で囲んでいただろう。天日槍伝説は渡来人天日槍が宗教国家・大和朝廷に服属したことを示していた。
北九州ではスサノオと一緒になったらしいサスラヒメ伝説に注目した。それらの痕跡は宗像三女神と韓国済州島の三女神、アカルヒメ伝説などで確認された。
出雲の八枝大蛇退治伝説はそっくり同じものが済州島にも見られる。スサノオの何代か後の子孫がオオクニヌシになっている。「さすらい史観」から言えばこれは漂泊から定住へのプロセスを物語っている。
大磯、日高などの神社を尋ねたが、ここは8世紀に高麗若光が武蔵国高麗群の群長に任命されていることで知られる。ここでは見事に土着化した高句麗人像を発見した。そして高麗若光を祀ったのはむしろ日本人であると思われた。韓半島から日本への渡来を促進した最大の原因は、絶え間ない戦乱・動乱・政乱の歴史で、韓国人は「われわれは日本に文化をおしえてあげた」というのなら同時に「われわれは日本にたくさんの同胞を引き受けてもらった」というべきと考える。

在日韓国人として、外から韓国を眺められる立場にある著者が、健全な国際的にも首肯される韓日関係の成立を願って、神社訪問等を通して韓日関係のルーツを求めて書いた作品と理解できる。タイトルがいい。攘夷の韓国開国の日本とし、いつまでも自分に都合のいい史観にひたっていると遅れてしまいますよ、と自国に反省を促しているようだ。渡部昇一の解説にある「呉さんをソウル大学が客員教授として招聘する日が来ない限り、コリア人の日本研究は幼児性を脱しえないだろう。」に全面的に同感。
010803