伝社新書
知っているようでしらず、世話になっていないようでなっている神様。日本人は宗教には無関心でないし、無宗教でもいない。ただ宗教を意識していないだけとも思われる。この本はそんな日本の神々を書き出そうとしている。
「日本人の個人や集団の、伝統的な生活様式、思惟方法、及び理念などの基底に神道がある」のは確かだが、ルイス・フロイスはキリスト教至上主義の立場から「神主は悪魔である神々と共謀し、人々をだましほどこしものを強要している。・・・・・神々が悪魔である以上,人々を救うことはできない。」などとする。
第二章で暮らしの中の神々というタイトルのもとに「歳神と注連飾り」「安産祈願」「七五三」「結婚式と三三九度」「神々の前での葬式」「地鎮祭と上棟祭」「祭りと御神輿」「七福神」「道祖神」さらには新東京空港の神様まで取り上げる。
第三章ではそのもとになる八百万の神々の系譜について述べる。88pの天之御中主命に始まる神々の系譜表はなかなかに面白い。神道にはキリスト教のアダムとイブ神話などに見られる原罪意識と違った罪の意識が見られる。それは罪をあらため、悔い改めればスサノオノミコトのように敗者復活が可能だった世界、狩猟民族と農耕民族の差をみるようだ、としている。禊と祓えが罪を消し去る手段となっている。
第四章で伊勢神宮と皇室のお伊勢参りについて述べる。ここで内宮と外宮についてその形式、由来等を説明している。江戸時代のお伊勢参りブームに御使(おんし)と呼ばれるたびの手配師の活躍がおおきかったこと、お伊勢参りの後に「精進落とし」と称する「春」の楽しみもあったことなども面白い。・・・・
「古市の古き狐にだまされて一度はきたが二度はコンコン、思うてきて思わず去るものはなし、身代滅ぶに古市の里」
第五章は神々と神社。戦前の神道指令で神社が国家の統制がはずれ、一般の宗教並となったが、統括する組織を失って存亡の危機に立たされた。そこで民間団体神社本庁が結成されてほとんど神社を統括している。しかし日光東照宮、明治神宮など、これに加わらない神社もある。ところが神主の資格認定はここが行っているから力は絶大らしい。
ところで神主の序列の話は知っていたが、神々の序列の話は知らなかった。大宝律令で定めたもので、神階というのがあり、官幣大社などの指定のおりは、祭ってある神様の神階によったとか・・。
戦後、神社の経営は非常に苦しくなった。地方の中規模な神社の場合、収入は正月の賽銭、日常的なお守りやお札の販売、家などを建てるときの地鎮祭、毎年の大祭などに分けられる。そのため資産を運用したり、結婚式場のような事業をしたり、寄付に頼ったりする。しかしかし氏子の減少に歯止めがかからないのが現状。
第六章は日本を代表する神社とその神々。出雲大社、熱田神宮、宇佐神宮(八幡様元締め)、伏見稲荷大社(お稲荷様元締め)、太宰府天満宮(菅原道真)、熊野三山、諏訪大社、白山比刀iひめ)神社(白山信仰)、住吉大社、春日大社(藤原氏一門の氏神),日枝神社(比叡山天台宗と結びつく)、富士山本宮浅間神社、宗像神社(航海の神様),鹿島神宮・香取神宮、龍田大社・広瀬神社、秋葉神社などをとりあげる。
この書は余り主張と言ったものは見受けられないが、一般の人が神道について知識を売るには適していると感じた。
060513