講談社文庫
「時間が作り出し、いつか時間が長しさっていく淡い哀しみと虚しさ。都会の片隅のささやかなメルヘンを、知的センチメンタリズムと繊細なまなざしで拾い上げるハルキ・ワールド」と帯にあるが、それが全部当たっているかどうかは確信がもてない。しかし18のショートストーリーは佐々木マキの素敵な絵ととけあい、やさしいイマジナテイブな世界を作り上げている。こういう作品を書いて見たいと思う。以下ポイント解説
「カンガルー日和」
柵の中には4匹のカンガルーがいた。一匹が雄で二匹が雌、あとの一匹がうまれたばかりの子供である、という出だしは人間世界を髣髴させる。カンガルーの子供が母親の袋に入るのを待ち「重くないのかしら」「カンガルーは力持ちなんだ。」と語り合う男女の光景がほほえましい。
「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」
100パーセントの女の子の存在を信じているところがいかにも若者という感じである。
「あしか祭り」
「あしかがやってきたのは午後1時だった。」とあしかの人間的存在をごくあたりまえのように書き出している。新宿のバーで名刺を渡したあしかが作者に「あしか祭り実行委員長」になって欲しいというのである。
「1963/1982年のイバネバ娘」
形而上学的女の子というところが面白い。
「とんがり焼きの盛衰」
私の開発した新とんがり焼を、昔からとんがり焼だけを食するとんがり鴉の中に放り込むと、彼らはそれがとんがり焼であるか、非とんがり焼であるかをめぐって生死をかけた争いを始めた、というアイデアが面白い。作者は、具体的には人間のどういうところを皮肉ろうとしているのだろうか。
「チーズ・ケーキのような形をした僕の貧乏」
二本の鉄道にはさまれた三角形の小さな家を借りたときの経験談。とにかく安いのだが、うるさくて不便・・・・けれどあの頃は若かった。
「スパゲッテイーの年に」
女の子からの聞きたくもない電話相談に「今、スパゲテイーを茹でているところなんだ。」と断るところが面白い。それほど作者はスパゲテイーにいれあげていた。
「図書館奇談譚」
図書館にいったところ、借りた本は最後まで読まねばだめだ、と地下の一室に閉じ込められてしまった話。しかも読み終わるとのこぎりで頭を切られて脳みそをちゅうちゅうすわれてしまうという。これだけが全体6章に別れ、少し長編。