韓国併合への道   呉善花

文春新書

ある国の歴史というのは外国人にはかけないのだと思う。また母国にとどまり続けた人にはなかなか書けないのではないか。なぜなら、その国の心情は国民でなければ理解できぬところがあるし、また一度外国に行って客観的な立場で物を見なければ公平に自分自身を評価する事ができない。さら付け加えれば自分の主義主張が前面に出た歴史書を読む気がしない。まず客観的な事実を正確に捉えた上で議論してほしい。
著者はそういう意味でこの書を書くのに最適の人に思えた。

韓国の当時の歴史を、この作品により年代記風にまとめなおすと
@ 19世紀中葉、日本が黒船来航に大騒ぎしていた頃、韓国にもロシアの接近、米商船シャーマン号侵入、江華島にフランス艦隊侵入などの事件が相次いだが、僥倖も手伝って李朝はこれをしりぞけてしまった。
A 明治維新を達成した日本は近代化を急激に推し進め、江華島事件を契機に日朝修好条約が結ばれたが、この時点で、日本は朝鮮を中国の属国としてではなく、独立国と認めた。このころ国内では大院君を倒した閔氏政権が成立。1882年に一時大院君が復活するが清国の援助で閔氏政権が復活。1883-84年に西欧諸国と修好条約を結ぶ。日本の援助を受けた金玉均等開化派による甲申事変の時点(1884)で起こった。しかし李朝は清国を頼みとしてこれを覆した。その後、清国がロシア、イギリス等との対峙において力を発揮、宗主権を誇示する。

B 1895年、日清戦争の勝利によってようやく中国からの独立を獲得。しかも日本は三国干渉に屈し,閔妃殺害でおいこまれたから独立へのチャンスが再び訪れた。しかし李朝政権は開化派の残党の動きを押しつぶし、しばらく親露派官僚とロシアが支配する。1897年に国王がロシア公使館を出て「大韓帝国」と命名する。

C 1904年日露戦争勃発に合わせ、韓国は中立宣言をするが、日本に屈し、事実上の保護国と成る。第一次日韓協約で、日本からの財政顧問がおかれる1905年日本が日露戦争に勝ちポーツマス条約に基づき第二次日韓協約。日本の政府代表者として伊藤博文が統監に就任。さらに1907年にハーグ密使事件が発覚し、高宗が退位、各地で反日運動が起こるが鎮圧され、第三次日韓協約が結ばれる。重要な案件について日本がほとんど関与するようになる。1909年ハルピンで伊藤博文暗殺。
D 1910年日本は、1392年の建国以来500年間続いた王朝国家「朝鮮」の後身「大韓帝国」を併合した。1931年朝鮮三・一独立運動。

著者は、李朝の問題点を次のようにまとめている。
@世界に類を見ない、硬直した文治官僚国家体制 A中華主義に基ずく華夷秩序の世界観 B大国に頼ろうとする事大主義 C儒教国家を保守する衛正斥邪の思想。
こうし李朝正統の流れに対して、唯一改革への可能性を示し続けたのが実学の流れだった。しかしそれは金玉均らの急進開花派と金弘集らの穏健開花派に別れ、両派壊滅以後は東学の流れと愛国啓蒙運動の流れに命脈を保った。三つの流れはついに大同団結することはなかった、としている。

かって著者の「スカートの嵐」を読み感銘を受けた事がある。その中で著者は「韓国にはまともな日本史・日本文化の研究者はごくわずかだが、広く浅い教育のゆえに一般は日本の歴史を良く知っているように錯覚している。日本は多くの韓国歴史・韓国文化の研究者がいるが、一般は韓国の歴史をほとんど教育されていない。この結果、韓国人は「当然知っていなくてはならないことを知らぬ日本人は、やはり過去の反省などしていない、と感じてしまう。」と指摘している。冷静に両国の歴史関係を眺めたこの著は、日本人としても読んでおいて決して損のない一冊といえよう。

060530