花神(上)          司馬 遼太郎


新潮文庫

村田蔵六、後の大村益次郎は周防の田舎の村の町医者の子として生まれた。20を過ぎて蘭学を志し、大阪の緒方洪庵のもとで学び、頭角を現した。その間長崎に学んだ。このころシーボルトの娘イネと知り合う。
家業を継ぐべく田舎に戻ったが、医師二宮敬作の推挙により宇和島藩に仕えることとなった。このおりペリー来航3年にして藩主の命により蒸気船を作った。
江戸に出て江戸鳩居堂にて蘭学を教え始め、やがて幕府からも認められるようになる。しかし直参になるより、郷里の長州藩に仕えることを夢見ていた蔵六は、桂小五郎を通じて奉職に成功。攘夷論を振りかざすようになる。
そのころ安政の大獄から桜田門外の変と世の中は急速に動いていた。緒方方での同門福沢諭吉が咸臨丸でアメリカを見てくる。蘭学すらも過去のものになり、英語が大切になってきた。

蔵六が蘭学で頭角を現し、長州藩に仕えるまでを描いているが、言葉のはしはしに作者自身のこの時代に対する見方が伝わって来るところが面白い。以下それらを中心に抜き書き。
・ステファン・ツヴァイクは、運命という言葉を愛し・・・(262p)
・原理というものを優先して実在を軽視すれば良き知恵も曇る。原理に会わぬからと言って実在を攻撃することはいけない(276p)
・女性の解剖(280p)
・大化改新以来数百年世話になった漢学というものを古草鞋のように捨ててしまって、しかもその大恩に感謝するわけでもない。(313p)
・日本の場合は技術のみを無理矢理ひきはがして取り入れようとし、人間までがオランダ人にはならない。・・・菅原道真が和魂漢才と言う言葉であり、明治の開花期の和魂洋才とい言葉であろう(315p)
・田舎者の取り柄は、外界に出たとき見るものの全てが驚きであるという事だった。(322p)
・キリスト教は仏教とは違い、単純けい烈な善への志向とその行動力を持っているが、この当時のアメリカ人の理想主義は特にそのにおいが強い。(335p)
・攘夷熱心な藩ほど自分の藩を産業革命化しようとしたことであった。(345p)