花神(中)          司馬 遼太郎


新潮文庫

攘夷という狂気に支配された長州藩は、蛤御門の変に破れ、さらに馬関海峡を通過する4カ国連合艦隊に完膚なきまでに叩きのめされ、壊滅寸前。そこに幕軍が迫ってくる。桂小五郎の推挙により、軍務大臣に抜擢された蔵六は、大村益二郎と名をあらため、その対策に没頭する。
兵器は、坂本竜馬の尽力で欧米から買い入れた最新式の旋条銃を用意した。兵は農民を巻き込んだ人民軍にし、装備は徹底した合理主義を貫き、動きやすい簡単なものにした。英雄は要らぬ、指揮に従って忠実に動く多くの兵がいればよい、の考えから指揮系統を徹底させた。そして領民を味方につける、三方から絞って逃げさせる、など合理的な戦略を用いた。
戦いは安芸口で緒戦に勝ち、相手の戦意を喪失させた。石州口では益田戦争に勝ち、援軍のない浜田城を自滅させた。瀬戸内海では周防大島を捨てた後、高杉晋作が夜陰に小船で相手を混乱させ、相手のやる気をそいだ。小倉口でも相手の分裂に乗じて勝った。

石州口の戦いが印象的。大袈裟に言えばこの戦いで農民が武士に勝ち、そして武士の権威が滅んだといって差し支えないだろう。
また日本人というのは大きな問題が起こったときの解決能力はすばらしいが、成功すると慢心し、初心を忘れるものだ、という感を強くした。長州の逆境での頑張りは立派で、見事に実を結んだ。そしてこの時銃の優秀さが勝負を決めることが証明されたが、日清、日露の勝利の後では忘れられてしまった・・・・。
・攘夷主義とそのエネルギーが明治維新を成立させたのである。・・・幕末の攘夷熱は、それが思想として固陋なものであっても、しかしながら旧秩序を焼き尽くしてしまうエネルギーは、この攘夷熱を除いては存在しなかった。(11p)
・(鉄砲は)わずかの間に驚嘆すべき普及を見せた。・・・・この日本人の民族的性癖を、もっとも恐れたのは徳川家康とその幕府であった。・・・あらゆる道具の様式を凍結し、「新規なもの」は許さず・・・。(143p)
・大島の一件、全身の病毒ではない。局部の疾患にすぎぬ。半ば捨て置く。(307p)
・大軍に奇なし、という言葉がござる。(311p)
・人間お才能の中でもっとも希少なものは軍事的才能であろう。・・・織田信長はその機微を知っていた。彼の5人の軍団長のうち3人までは彼自身が土の中から拾い上げたものである。(317)
・長州の寝射ち(359p)