危機の日本人   山本 七平

講談社

作者山本七平は評論家・日本研究者。1991年没。70年の「日本人とユダヤ人」で有名になった。この作品は86年に刊行され、今回附註を加え、再び店頭に並んだ。
日本人の三つの見方を紹介し、その中から日本人の特性を知ろうとする。

第一は16世紀以降欧米人のみた日本で、いろいろな見方を紹介する。
要約すれば、好奇心・探究心が旺盛で、自らを絶対化して拒否することはしない。礼儀正しく、整然たる秩序を愛し、従って犯罪は少ない。親切だが、喜怒哀楽の感情を表に出さず、忍耐強く自分の職務に精励し、正義を愛し温良である。しかしながら,迷信・猜疑・傲慢の欠点がある。各人の生活は驚くほど平等だが、これは「しきたり主義」に起因するのだろうか。科学技術はヨーロッパに劣るがすぐにそれを学ぶだろ。そうなればヨーロッパの恐るべき競争相手になるから、彼らを刺激しない方がよい。日本人は個人的には怜悧・淡白・正直だが、役人になると臆病・陰険・狡猾である。経済的には極めて合理的で、手形、小切手等も古くから用いられていた等々。

第二は「看羊録」という作品。作者の韓国人カンハンは秀吉の慶長の役で捕虜になり、3年ほど公家儒学者藤原惺窩(せいか)のもとで過ごした学者で上奏文である。彼は、大名はすべて盗賊の出、上下の区別がなく、威厳にかけ、漢文が読めぬ、などと非難する。彼の価値観からすれば理解できないことを4つ揚げる。1)武士なるものの存在と彼らの価値観。2)何事も「天下一」の称号を求め、これが達成されれば権威のようになってしまう。3)茶室や茶器のようなつまらぬものに異常なほどかがあること。4)異国やその産物に対する異常な好奇心。
これに対し著者は、何事においても科挙に通る事が基準になっていた官僚主義社会の韓国の当時の特質を指摘する。そこでは陶工のような専門職は認められなかった。韓国が「秀才」官僚主義の社会であるのに対し、日本は、戦国時代の日本を「たたき上げ」実力主義の時代、というのだ。一方では地方分権の日本、中央集権の韓国でもある。儒学者などは茶飲み坊主にすぎず、日本人は徹底した機能主義。主君に死を賭して戦うが、将来がかかっていることから出てくる合理主義、と分析する。3)などは四礼を重んじる余り、国力の停滞する韓国の問題点を挙げ、趣味の違いとする。

第三は人鏡論という作品。作者不詳だが相当に読まれたらしい。神道の達人萩原中将に高僧一如上人、儒学者性子が訪ね、伊勢参りに行くが、これに無心論者道無斎が加わる。一如が「日本中の神々はすべて仏の化身」性子は「この世の正しい道は昔から説かれている」萩原中将が「誠の道は神学から出た」など、それぞれ自説をとくところに道無斎が「人間第一の急務は金」と説く。「神道の大事も金」「医者の評判も金」「出世も金」「儒者も金の前には物読み坊主」「仏も極楽も金次第」「求婚者も金次第」などとし、他の二人の反論を封じ、誠なんてものは夢の中にしかないとする。しかし著者は道無斎の思想を神・儒・仏いづれも否定され、すべてが相対化される状態であったとしても金がすての世がいいといっているわけではない。「誠の道」はそのすべてを失望したところから始まるとする。

以上のような論議を踏まえ、著者は「ご威光と平等」という考えを示す。徳川時代ある時期まで「お上のご威光」は絶対であった。しかしそれが衰えると平等が出現し、商工農士と逆転的な社会すら出現した。明治になると天皇という新しい「ご威光」と「四民平等」という新しい平等社会が出現した。戦後はアメリカという「ご威光」と民主主義という平等・・・・そんな中で日本人は、イデオロギーなど実効性のないものは軽視し、ものの具体的価値を重視すると共に経済至上主義に走っているように見える。
この行き方はきわめて合理的であるが、日本人が気づいていない問題点を内包している。未来を見据えて言えば「ご威光によって保持され自然的に形成された国際秩序」を崩壊させる恐れがあることだ。開国以後、日本は借金を完済するなど、先進国の優等生であった。しかし行きすぎたときに破綻が待っていた。戦後についても言えるわけで1973年オイルショックの頃、対米赤字は100億ドルを越えたが文句は言われなかった。しかし1983年に対米黒字は200億ドルにも登った。するとアメリカは突然騒ぎ始めた。

アメリカの主張にはしばしば合理性がない。しかし自らが「ご威光」になる気もなく、もっと呑気で責任を負う義務がなく高収入を得られるナンバー2の位置に安住したいなら、不合理な要求も覚悟しなければならぬ時がある。
自らの軍隊を持つことは拒否し、守ってくれる米軍には出てゆけとし、しかも平和で儲かる社会を希求するなら、少し古い著作だが、今一度読み返して十分価値がある、と思う。

060513