「トロイのハリス王子は、スパルタのヘレネ王妃に恋し、誘拐してしまった。怒ったスパルタは千隻の船と「女神の息子」と呼ばれた名将アキレスを差し向け、戦争は10年続いた。そんなある朝、スパルタ軍は撤退、門の外にはアテネ女神にささげる巨大な木馬が置かれていた。勝ったと思ったトロイ軍は木馬を戦利品として場内に運び祝宴をあげた。その夜、木馬に潜んでいた50人の兵士が城に火を放ち、トロイを一気に陥落させてしまった。」
実際はアカイア人との長い戦いの末、トロイは滅んでいったようだが、この話はなかなかロマンがある。
シュリーマン(1822-90)はドイツのメクレンブルグという小さな町でうまれた。紀元前800年頃ギリシャの詩人ホメロスによって書かれた「イリアス」、「オデユッセイア」を少年時代に読み触発された。ここに書かれた神話を信じ、貿易商などで十分資産を蓄えた後、1870年からトロイの財宝を求めて発掘を開始した。1873年についに発見(実際にはトロイではなかった。)、その財宝はドイツに運ばれたが、第二次大戦で行方不明になった、しかし1966年ロシアの美術館に保管されているのが確認されたと言う。
実際のトロイの遺跡は、紀元前3000年から紀元前500年頃まで9つの遺跡が一つの丘に積み重なっている。現在の調査ではトロイ戦争はトロイがもっとも繁栄した第6層時代(紀元前1700-1250)のものだといわれている。
シュリーマンの死後まもなく、彼の未亡人は出版社の薦めに応じて、「自伝」をアルフレッド・ブリュックナーに補完してもらって出版した。別に彼の生前にカール・シュハルトのまとめたものもある。この作品はこれらの作品をベースに、この偉大な商人にして発掘者の真の姿をもとめてエルンスト・マイヤーがまとめたものである。
彼は語学が非常に堪能で、何ヶ国語も自由にあやつった、よいう。「少年時代と、商人としての人生行路」で語学をマスターするコツが書いてある。大きな声でたくさん音読すること、ちょっとした翻訳をすること、毎日1回は授業を受けること、興味のある対象について常に作文を書くこと、そしてそれを先生の指導で訂正すること、この文章を暗記して次ぎに暗誦すること、としている。
発掘は1870年に始めたことになっているが、68-69年にイタケー、ペロポネーソス、トロイアに最初の旅を行い、めぼしをつけ、下準備をしていたようである。
1871-73年にヒサルリックの丘でトロイアの遺跡発掘開始。1873年にペルガモス宮殿につきあたり、財宝を労務者たちに盗まれぬよう、妻とこっそり運び出すところが印象的。
ついで74-78年に行ったミュケーナイ遺跡の発掘。トルコ政府から発掘の継続について訴訟を起こされ、その苦労話が面白い。さらに発掘を続けるために彼はギリシャ政府とも交渉している。有名なアガメムノンの黄金の仮面はここで発見されている。
彼の発掘作業はとどまらず78-83年のトロイア、第二、第三の発掘、さらに84-85年のテイーリンスへと続く。
現地はまだ発掘作業が行なわれており、現地ガイドの説明を聞きながら出ないと、石の壁一つ、意味がわからない、という。
彼の著した作品には誤りが多く、発掘の仕方も財宝探しが主体で遺跡を破壊してしまった、と非難する声も多いが、当時の状況を考えればやむをえなかったのかもしれぬ。
最後の蛇足。このシュリーマンは幕末(発掘以前)に清国を訪れたあと、日本にも来ている。清国にやや失望気味だった彼は、世界のどの国より豊かに耕された土地、正直で勤勉な人々、工芸品の高い技術など、一転驚きの目を見張っているそうだ。
051012