産経新聞社
ボリュームがあるが、夢中になって読んだ。この本は私がそうではないか、と常々疑問に思ってくれたことに理論的な筋道をたてて説明してくれた。私の知らない、びっくりするような事実を教えてくれた。
今「新しい歴史教科書」を作る会の教科書が検定を通りそうだと言うことで、中国と韓国が文句を言っているとのことだ。私はその教科書を読んだ訳ではない。しかしこの本を読んだことでどんな風に書いてあるか分かる気がする。
この本は日本人にとっての日本史は何か、世界史は何かを教えてくれる書である。中国には中国の、韓国には韓国の歴史観があっていい。自分の国をある程度美化しようとすることは当たり前である。そこに差異が生じても仕方がない。安重根は韓国で英雄であるが、日本の英雄は伊藤博文である。
日本に今までこういう本が出なかったことが不思議である。よその国に右顧左眄することなく日本の歴史はこうです、とどうどうと思想をもって示してくれる本が出なかったことである。大変為になった。友人にも、子どもたちにも読むことを薦めたい。
書かれていることは多岐に渡っているので章ごとの要約を作った。こういうものを作ると著者の思想が一望でき、自分自身の頭の整理になると思った。
1一文明圏としての日本列島
紀元前500年頃を中心に前後600年ほどの間に哲学の出現、科学の成立、高度宗教の誕生など全人類にかかわる決定的に大きな動きがあった。ヤスパースはこれを「軸の時代」と呼んだ。これから800ないし1000年の後にユーラシア大陸の両端において文明の新しい組み替えと再出発を開始する地域があった。日本と新羅、そして現在西ヨーロッパと呼ばれる地域で私はこれを「第二の軸の時代」と呼びたい。ヤスパースに寄れば「軸の時代」の高度文化を体験し、それを突き抜ける経験をした民族とそうでない民族に決定的な差があるという。日本とヨーロッパは「第二の軸の時代」を共有し、中華帝国とローマ帝国から借り受けたからと言って、文明が二次的で独自性がないなどということは言えない。
日本は白村江の戦い(663)あたりから国家意識が高まった。中国の影響は受けたが、907年の唐王朝の崩壊より以降、もはや中国から決定的影響を受けることはなくなった。その日本で発達した文化は東洋文化の一翼では必ずしもない。西洋の文化ばかりでなく東洋の文化に対しても対立的なものを孕んでいる。中国文明はむしろ西欧文明に類似したところが多く、日本はむしろユーラシア大陸に対峙した独立の文明圏と呼んだ方が正しい。
2時代区分について
古代、中世、近世というのは歴史には進歩があり、目的があり、終末があると考えるキリスト教的史観に基づくものだ。ヨーロッパ人は古代ギリシャ人の直径の子孫でも何でもないのだから、古代はなかった、と考える方が正しい。日本は縄文弥生の一万年以上を第一期、大和朝廷の成立から鎌倉室町までを第二期とし、これを古代と称するのがよい。この時期は中国から学んだ法体系の学習と拒絶のプロセスだ。十五、六世紀以降を近代と呼び、世界史の動向に波動をあわせている。さらに織田信長以降は初期近代、明治維新より後は東京時代として区分することもできる。
3世界最古の縄文土器文明
氷河期に対馬海峡も津軽海峡も陸続きとなって人々が渡来したが、やがて大陸から切り離された。縄文時代は稲作が行われ、エジプト文明に並ぶかなり高度な縄文土器文明が発達し、一万有余年紀元前数百年まで続いたと考えられる。その結果日本の歴史は何かパワーを背負っている感じだ。国家や都市の成立をみないところは未開、野蛮である、というのは西方ユーラシアを基準においた見方である。
4稲作文化を担ったのは弥生人ではない
弥生人というのは渡来した人間のことではないようだ。この時期に民族移動はなかった。外から誰かに鍵を開けてもらい、何らかの情報を得て稲作を地域から地域へ、世代から世代へ伝えた主体をなす人々は、縄文人そのものであったと考えるべきだ。
5日本語確立への苦闘
言葉と文字とは別である。言語は音である。文字は符号である。漢字が入って来た時、日本ではすでに複雑で高度に発達した言語生活が行われていた。その言語がどこから来たかは不明である。日本人は、入って来た漢字をみずからの生活に取りいれようとようようの工夫を試みた。中国語として読む以外にないものを、日本語として読む妙技を発明した。ヲコト点をうち、「訓読み」という独自の音声形式を確立した。
日本人は何かというと外国崇拝に陥りやすい。本居宣長はこれを「漢意」(からごころ)としていさめた。これは現代にも通じる重要な精神である。
6神話と歴史
わが国の歴史は、中国の史書に倭国に関する文字記述があることを始まりとする、などという珍説がまかり通っている。歴史は文字に始まるものではない。行為や言語に始まる。日本語は紀元前数千年におよび、日本はユーラシア大陸に対峙した独立の一文明を築いた。文字以前を語る神話は、一種の歴史であり、重視しなければいけない。漢字は紀元ごろ日本に入ってきたが、それを日本文化に取り入れ、自由に利用するようになるまで数百年を要した。
7魏志倭人伝は歴史資料に値しない
魏志倭人伝は蜀や晋に仕えた陳寿の書いた資料であるが、役人の文章であり、複数の反対証言に耐えずまったく信用できない。卑奴呼は和辻哲郎のいう「日の神の子」方が正しいのかも知れない。人間の行為や思想を何も語っていない。こんな物に比べれば古事記や日本書紀の方がずっと信用できる。現代日本の歴史家たちは血迷っている!
8王権の根拠…日本の天皇と中国の皇帝
中国の「天」の概念は、ユダヤ教やキリスト教やイスラム教のカミ概念に近い。人間と天は断絶し、、皇帝は地上における唯一の「天命」を受ける身であった。天命が変わって王朝が変われば、王朝の姓も変わるのは当然であった。日本の天皇は、天照大神の子孫によって受け継がれる者で血統世襲が重んじられた。自分を取り巻く同質者の中の異質者、共通の輪の中の例外、広い意味の支配階級の中の祭礼的シンボルとして位置づけられていた。このシステムは明治維新にも今次敗戦においてもうまく機能した。
9 漢の時代に起っていた明治維新
中国には日本のムラ社会に見られる家族意識がない。私人の行為に対する安定した信頼がそもそもない。同業者意識に似ている。中国を動かしていたものは刑罰の思想であり、法家のリアリズムであった。漢の時代に礼的秩序と文書を重んじた、日本の明治維新時にも似たシステムがすでに完成していた。日本人はこれに気づかなかった。後追いをし、封建社会を築き上げた。明治維新の時、ヨーロッパの明るい面、近代的なシンボルのみを受け入れようとした。ここでも裏の実態に気づかなかった。
10奈良の都は長安に似ていなかった
奈良の都は長安に見ているが、城壁がない。長安の場合、外敵に供えると同時に、軍事力の背景たる自国の民が逃げ出さないように城壁を設けた。日本の都市に城壁がないのは自分自身への、自分の内面への、自分の悪への警戒が欠如していたからではないか。
11平安京の落日と中世ヨーロッパ
中国の法律は、道徳を主にした儒家と法刑をもって万能と考える法家の二本立てであるが、日本は主として前者のみを取り入れた。そのため律令制、天皇と太政官の関係なども中国とは大分変わったものになった。律令制に似たものは西欧でも出来上がったが、日本と西洋では根本的に異なる。
「追いつき追い越せ歴史観」はその国の独自性の否定に繋がる。明治、大正、昭和前期にはそれが理解されなかった。
12中国から離れるタイミングの良さ…・遣唐使廃止
「大唐西域記」「東方検分録」に匹敵する作品が日本にもある。最期の遣唐使円仁の書いた「入唐求法巡礼行記」であり、当時の唐の様子が実にリアルに描かれている。円仁が帰国しから半世紀、894年に日本は遣唐使を廃止した。907年に唐は滅びた。良いタイミングで、」以後中国の権威そのものから距離を持ち、国風文化興隆の時代へと繋がって行く。
13縄文火焔土器、運慶、葛飾北斎
縄文火焔土器、運慶、葛飾北斎に見られる日本の芸術の水準の高さは世界的で、西欧芸術を時には凌駕していた。
14「世界史」はモンゴル帝国から始まった
日本人は自らを中心とした「世界史」のイメージを持たず、ヨーロッパの歴史があたかも世界史であるように錯覚している。中国人も中華思想はよく知られているが、彼らは異民族に長期に支配されることが多く世界観どころではない。世界史の概念を始めて持ったのはモンゴルで彼らは自分の騎馬による武力と中国人の富とムスリムの商業力を利用しようとした。モンゴル人が切り開いたネットワークがルネッサンスさえも誘発したと考えられる。
15西欧の野望、地球分割計画
15,16世紀、ポルトガルとスペインはローマ教皇デマルカシオン(境界確定)に基づき世界を二分しようとした。その結果が西のトルデシリャス条約、東のサラゴサ条約である。なぜ彼らが中国や日本は、彼らに寄港地や居留地を与えた程度だけだったのか。答えは軍事的抵抗力である。なぜ異教徒に正当戦争を行うことが出来るかの問いに教皇はきわめて独善的な答えを与えている。
16秀吉はなぜ朝鮮に出兵したのか
秀吉は実は東アジア全域に、一大帝国を築き上げようとの考えで、朝鮮に出兵した。マニラ総督には、スペイン国王に開城するよう申し入れている。その内容は今をときめくフィリップ2世を見下さんばかりである。とかく大航海時代と称するヨーロッパ側の進出ばかり考える傾向があるがこの辺を忘れてはならない。この秀吉が徳川政権の外交姿勢を決めた。キリスト教拒否と中華世界の否定である。鎖国というと誤解されやすいが半眼を開いて世界を見つめる積極的姿勢であった。
17GODを「神」と訳した間違い
日本に現れるのは一人の神でなく自然や生活文化にかかわるさまざまな神々である。キリスト教の言う全知全能の神とか造物主といったものではない。昭和に入ってGODを神と訳すようになったが、これは中国での例から作り上げた物で基本的には間違い。またキリスト教が日本ではやらなかったのは、彼らが本来のキリスト教徒らしく、非寛容的であり、やたら敵対的態度を取ったからと解するべきである。
18鎖国は本当にあったのか
徳川幕府は鎖国の布令をだしたことは一度もなく、海外にあえて行く必要がなかったからだ。出入国厳戒令は「自己集中」の智慧であった。十六から十八世紀、ヨーロッパは外に向かって爆発し、侵略したが、日本は自己に向かって集中し、防衛した。ヨーロッパの「近代システム」の成立過程と日本における「鎖国」が、アジア物産から解放した、という見方も面白い。鎖国という言葉が出来たのは幕末であり、意識が出たのは実際に海外渡航が可能になってからで、明治になってクローズアップされた。
19優越していた東アジアとアヘン戦争
十五世紀末から十八世紀中葉までの二百五十年、アジアにはロマノフ帝国、ムガール帝国、、オスマン帝国、清が平和を謳歌し、ヨーロッパは新規参入者に過ぎなかった。十五・六世紀ヨーロッパ諸国は順次東方に進出したが、故国の財政を豊かにすることをめざしたにすぎない。アヘン戦争はイギリスのインド支配の財政基盤をささえ、中国大陸へ進出しようとする欲望にねざす横暴極まりない戦争だったが、これが形勢が一気に変わった。ヨーロッパがこのように外国侵略に活路を見出したのは中世の絶望と遭い続く戦争と自我の強さであった。このような中から国際法の概念が芽生えてきたが、キリスト教的愛に基づく戦争は認めるという二重性をもっていた。この間日本は平和を謳歌し、明を倒した清を軽蔑していたから一度も膝を屈したことがなかった。
20トルデシリャス条約、万国公法、国際連盟、ニュンルンベルグ裁判
いったい人が人類そのものの裁き手となる「人類の法廷」は可能であろうか。この問いの回答に侵略にすぎない北の十字軍すら正しいと認めた十字軍巡礼という愚挙があげられる。明治維新になってその本質を知らずに「万国公法」と持ち上げた日本人の態度は悲しむべきである。第一次大戦後の国際連盟は一見高潔なウイルソン大統領に負うところが大きく、世界の平和に貢献したと考えられ勝ちである。しかし彼のいう民族自決は旧オーストリア帝国の民に限られていたし、日本からの移民を拒否するなど矛盾だらけだった。ドイツとポーランドを分け合い、フィンランドに進出したロシアが裁く側に回り、「人道に対する罪」などというきてれつな概念を導入したニュンルンベルグ裁判に公正など期待することが出来るわけがない。
21西洋の革命より革命的だった明治維新
過去からの断絶がなく、下からの革命でないゆえに明治維新は市民革命の範疇に入らないという考えは誤りである。フランス革命を近代社会の窓口のように理解したがるのはその先にプロレタリア革命を期待したマルクス主義に基づくものだ。江戸時代に幕藩体制が西洋の「主権国家体制」と並行的に展開し、類似した国家意思を内在させるにいたっていた、曲がりなりにも武家政権で危険に対する嗅覚が鋭かった、武士の倫理観などがあって始めて明治維新は成功した。その内容たる支配階級は一変し、有能なものは身分にとらわれずに抜擢され、海外派遣され、政府枢要の地位につくなど極めて革命的なものであった。同時代に中国の帰国留学生は排斥されている。
22教育立国の背景
江戸時代における藩校や寺子屋の普及があったために、明治を迎えた時、日本の教育改革は成功した。教育が先頭に立って社会の工業化を引っ張り、工業化が本格化したときには、小学校の普及はすでにほぼ完了していた。制度面でも明治の教育改革は優れていた。欧米のように複線型の学校制度にしなかったこと及び教育と競争を結び付けたことが成功の主たる原因である。ただ平等をおし続けたあまり、現在は平等と効率の二律背反に悩んでいる。
23朝鮮はなぜ眠りつづけたか
十九世紀末、周辺の国が西欧諸国に蹂躪され、頼みとすべき中国が自国の領土保全がままならず、朝鮮はその属国に過ぎなかったととにかく日本は心細かった。その上中国と韓国は日本に理由なき優越感を示した。手近な教科書はその事が忘れられ、日本は欧米と一緒になってアジアを侵略した強国として扱われてはいないだろうか。列強がアメリカ大陸に手を出そうとしたとき独立を勝ち取った経験のある米国の反発にあった。日本は英露の対立を利用して列強の対日進出を押さえようとはかった。しかしその頃李氏朝鮮は清国と同様、官僚化が進み、どうにも成らない状況だった。結局韓国は中国に頼ろうとし、次にロシアに頼ろうとし、最期に日本に併合された。列強はむしろこの事を歓迎した。しかしフィリピンを倒したものの中国への足がかりが得られない米国は日本が邪魔になった。
24アメリカが先に日本を仮想敵国にした(その一)
第二次世界大戦に際し、政治の表面に露骨なまでに露呈したテーマは「人種」であった。十九世紀アメリカはテキサスからコロラドまで狡獪な手段で得た余波を買って日本に開国要求をつきつけた。アメリカは移民の労働力を搾取して成り立つ国だ。日本ははじめて主権国家としてのプライドを掲げて上陸した黄色人種である。日露戦争が終わってアメリカは日本に恐怖を抱き始め、突如として日本を仮想敵国と見なし始めた。十六世紀以来の西欧文明と東洋文明の対立である。セオドア・ルーズベルトは黒人の存在を無視して、日本人はアメリカと同化できないと断じた。1908年アメリカはなんと対日威嚇行動に出た。大西洋艦隊を日本近海に近づけたのだ。(白船事件)ところが日本は「一種のネコかぶり」をし、友好国キャンペーンをはったのである。
25アメリカが先に日本を仮想敵国にした(その二)
日露戦争の勝利に白人は嫌悪し、黒人は最初喝采を送ったが、やがて妬むようになった。日本の指導者たちは日本人移民の実態を把握せず、悪いのは日本であるとして甘さを露呈した。大正知識人もまた同じでアメリカにまず敵意があり、それが解きがたいほどの壁であることを見抜けなかった。日露戦争後、アメリカは、日本を仮想敵国にした作戦計画をねり(オレンジプラン)、一方で国際的な世論を喚起し、1941年4月の段階では中国軍を装った米軍航空師団フライイング・タイガーを投入し、開戦3ヶ月前の9月には日本本土爆撃の研究をしている。
原爆ドームを世界遺産にすることに反対したのはアメリカと中国だ。アウシュビッツと並ぶ「人道に対する罪」の告発の表現と考えられるからである。
26日本の戦争の孤独さ
アメリカは、まぎれもなく一級のハワイやフィリピンを取った侵略国家だった。ところがワシントン会議では「領土保全」「民族自決」を突如として唱え、日本を押さえ込んだ。満州における日本の特殊地位を承認した石井=ランシング協定を廃棄し、日本の中国進出の既得権を否定した。一方で西欧諸国の権益については言及しない。
第二次大戦におけるヨーロッパの戦争とアジアの戦争は別個のものである。後者ではアメリカが主体になっているが、長年日本をたたきつぶそうとねらっていたからだ。日本は情報戦争で立ち後れ、大東亜宣言アジア諸国を味方につけることに失敗した。この戦争は太平洋の覇権をめぐるエゴとエゴの衝突、東洋と西洋の間のパワーとパワーの激突だった。しかしよいものも悪いものも自分の歴史、利口ぶったやつにはなるな!
27終戦の日
終戦直後「世界に対し悪いことをしました。連合国に謝らなければなりません。天皇は戦争責任者でした。」などという感情は、日本国民の間に毛ほどもなかった。アメリカ占領軍はいかなる意味においても「解放軍」ではなかった。支配したのは茫然自失であり、動物的恐怖であり、自己破壊への衝動と未来への拒絶であった。それまで日本は天皇を中心に一体となって戦っていたからだ。
28日本が敗れたのは「戦後の戦争」である
なぜあれほど大空襲で非戦闘員を大量に殺傷されながら、戦後アメリカに復讐心を再燃させなかったのだろうか。個人の生命を維持する目的、もともとアメリカ人を憎んでいなかった、「大きな侮辱」の前に屈服した、袋の中にいれられ、精神的に敗北したなどの理由が考えられる。戦勝国は検閲等を通して言葉を全部握ってしまった。さらに一般国民と支配階級を区別し、前者に罪はなく後者にのみ責任があるとし、戦前の政治を封建的とした「日本国民に罪過の観念を植え付ける」政策が成功した。
石橋湛山は欧米と比較し、この欺瞞を激しく非難している。二十世紀はファシズム、共産主義、レーニンの言う帝国主義、「アジアはひとつ」の四つのイデオロギーが世界を支配した。所詮すべての政治的主張はフィクションである。日本は戦争もした、運悪くへまをした、となぜ考えることができないのだろうか。
29大正教養主義と戦後進歩主義
知識階級と民衆、大学と実用社会がたがいに背をむけ、反発し会う構造は、昔も今も変わらない。大正時代ドイツがギリシャを理想としたように、ヨーロッパの学問、芸術をいわば信仰の対象として、日本の知識人はむらがった。しかし彼らの「脱体制」はリベラリズムの名でよばれたものの、自らの力で自由を奪ってきた西欧のリベラリズムとは似て非なるものであった。ところがこの傾向を戦後進歩主義者たちがひきついだ。彼らは朝鮮戦争のさなかに全面講和論を堅持して止まなかった。共産主義体制が崩壊した今現実の見えなさ、無知迷妄、消えてしまった共産主義への追慕ぶりは無惨である。
30冷戦の推移におどらされた自民党政治
安保闘争は日米問題ではなく、米ソの二大勢力が日本列島で対決した代理戦争だった。東側が革命を信じ、西側が恐れていた時代、自民党は一枚岩を守れたし、国民はマルクス=レーニン主義の社会党に政権を渡そうとはしなかった。ところがここに来て日本に対する高まる米国の冷淡さ、再び台頭しかねないロシアの大国化、中国の前近代的混乱、南北朝鮮への影響などふたたび予想されない事態がたち起こってきている。平和ボケした日本が立ちすくむ日は遠くない。敗戦国なのにのうのうと暮らした平和の代償をいつかは必ず支払わされる。
31現代日本における学問の危機
「君たちは何も生み出す力をもっていない。」日本と西洋とを問わず、今日の人文科学の知性、方法、成果はおおむね体験を欠いている。自然科学は確かめられた部分のうちに全体の確実性を保証しようと試みおおむね成功している。しかしその一方で現代素粒子物理学最前線では、自然界に存在しないものを作り出すという、芸術や文化にさえ近い行為が展開されている。この辺に人文科学が再び自立・独立するきっかけがあるのかも知れない。
32私は今日韓問題をどう考えているか
かって日本軍人になろうとする韓国人は非常に多かった。ハングルを普及させるなど日本は韓国の開発に力を尽くしたが、日本は嫌われた。韓国はプライドが高く、日本の善政はおしつけと取られた。
列強が朝鮮半島を目指したとき、日本が朝鮮を併合したのは歴史の当然の帰結だ。日本人は悪いことをしたと考えるべきではないし、彼らに当時の国際情勢を理解することを求め、国際社会にかかわる条理にかかわる歴史理解に道徳は介入できないことを説得すべきだ。欧米の教科書は、自分の植民地支配に対し、どうどうとしかもたんたんと事実を述べているに過ぎない。
33ホロコーストと戦争犯罪
ナチスの犯罪は軍事目的とは全く別個の意志を持った政治意志の表現であった。こうした虐殺genocideは戦場の興奮に基づかない、理念に基づく殺人行為で毛沢東、スターリン、ポルポト、アミン大統領、フセイン大統領、ミロシェヴィッチ大統領などが思い浮かぶ。
南京大虐殺はポルポトの大虐殺が中国の指導で行われたことが明るみに出ようとしたとき、突然北京政府が持ち出したものである。
ところでナチの虐殺について集団の罪なのか、個人の罪なのか。ヤスパースは集団に罪はなく政治上の責任として賠償を払うのである。従軍慰安婦問題などで集団としての責任はなく、個人としての責任に対応して政治上の責任はすでに果たしたのであるから、相手にする必要はない。道義上の責任も負う必要はない。
34人は自由に耐えられるか
古来、人間は知的自由を求め、戦ってきた。しかし今では得られたその自由に人は絶えられないかに見える。そうしてそれは時として自分自身の仕切を求めようとしている。一方で人間というのは普通永遠に無責任な見物人の域を出ない。小学生の登校拒否や他人に対しての無関心も、こうしたところに原因が求められないか。
多くの人が、ハイデッカーが分類した何を見ても心楽しまない、空虚な第三の退屈を深く感受し救済の叫びを上げている。バスを待つことの退屈、他人と関わっていることが退屈と感じる退屈で用が足りている私たち市民社会はこの救済に正しく応答する力を持っていない。
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