「困った人間関係」の精神分析   小此木啓吾

新潮文庫

著者は精神医学者で心理学者。日本のフロイト研究や精神分析学の第一人者である。「シゾイド人間」を読んだ事がある。著者は「あなたの身近な「困った人たち」の精神分析」を上梓したが、この書はその内面をもう少し掘り下げて書こうとしたもの。
困った人にもいろいろと種類がある。そもそも困った人がそれだけですめば問題は小さい。本当に困るのは、その困った人たちが、人に好かれたり評判がいい場合である。第1章「評判のいい困った人たち」ではそのような人たちについて述べる。
「親切すぎてわずらわしい人」は、相手との過剰な一体感を抱く場合におき、身近になるとうるさくなってしまう。「人のことばかり気にする人」は、受身的性格で相手から父親のように愛されることを願う。相手とうまく行かなかったとき、小さな自己主張をしてトラブルを起こしたときなどに、ストレスをためる。要するに過剰適応で自分らしさがなく、時にむなしく感じる事がある。「けちで頑固な人」は、仕事においては几帳面な実務家だが「贅沢は敵だ」という超自我をもち、人に好かれない。「誘惑的な人」は、その気にさせて身をかわす。愛されたいのに愛が恐いヒステリー性格である。「傲慢で気取りやの人」は、自分を特別な人間と思っている。品はよく礼儀正しいが、気取っていて傲慢。自分の家族は特別という家族ロマンスを持つ者もいる。「正義をふりかざすこわい人」は、容易に自分の非を認めないが、心の中にはいつか押しつぶされるという怯えがある。
第2章「愛と憎しみの中の困った人たち」では、相手を困らせ、自分も苦しむ「困った人」について述べる。相手も被害者になるが、本人自身も心が痛みとてもつらい。
「恋に狂う人」は、好きになると、その人の事がすべてになってしまう人。パートナーはかなわない、と感じるようになる。「ねたみ深い人」は、自己愛人間が多い。感謝の気持ちがあればねたみの心はやわらぐ。「やきもち」は、ねたみとは少し違う。自由な男女関係の中でやきもちをやき、嫉妬に傷つく若者は多い。しかし嫉妬心はときに妄想にまでいたるから恐ろしい。
第3章では互いの組み合わせから生まれる「困った人」について。相手を困った人と思う時に、自分との組み合わせで作り出しているかもしれない、と考える必要がある。
「意地悪な人・平気で人を傷つける人」は、子ども時代のしつけなどに起因する場合が多い。しかしいじめられる側も気に入られたいと過度に近づくなど問題点がないわけではない。「グズな人」は、思慮深い反面、依存心理が強い人が多い。「せっかちな人」は、攻撃的な人が多いが、ときにあわて者の失敗屋になるから注意が大切。「だらしない人」も世話を焼く人がでてくる場合は、良い組み合わせになるケースがある。
第4章「自分の中の困った人たち」ではいつも不安で傷つきやすく、劣等感に悩むなど、自分の中でくよくよする「困った人」が登場する。
「すぐに憂鬱になる人」が落ち込むきっかけは、一体感を喪失したときに始まる。燃え尽き症候群の人たちなどがこれにあたる。「劣等感に悩む人」は、親から欠点を指摘され続けて育った人などに見られる。「いつも心配で不安な人」は、一種潔癖症でこれも親からそう教えられた場合が多い。「本当の自分らしくないと感じている人」は、シゾイド人間がその代表例。周囲にうまく合わせるが。心の奥底には「これは本物の自分じゃない、本当の自分らしくない」と感じている。しかしこれらは現代人の共通の心の悩みともいえる。
最終章では現代社会で見られるそれぞれの年代で特有な「困った人たち」が登場する。
「引きこもる人」は、気が小さくて内気な人がなりがち。最近では女子に特に目立つ。しかし親は見捨てるべきではない。「親は本当に困ったときは助けになる」と思わせる事が大切である。「親から自立できない人」は、結局は甘えから来ているのだが、子どもの中には親のようになりたい気持ちと、越えたい気持ちがあることも認識する必要がある。ただし対処方法は難しい。「困った夫・困った妻」とは、べたべたしすぎる夫、ホンネは男尊女卑、自分の満足のみ求めてセックスをする等の人を言う。こうしたものがお互いの不信感を助長し、セックスレス夫婦を作り出す。その結果が熟年夫婦に危機をもたらし、「困った父親・困った母親」につながる。
どうです?自分の周囲にもこういう人がいた、あるいは自分自身にもこういう面があると気づいたり、反省したりすること確実でしょう?

040628