書店でタイトルをみて、私もこの立場だ、と考えて買ってきた。
著者は東京都生まれのフリーライターとのことだが、この人の家族論などをいつかウエブサイトで読んだことを覚えている。
終戦後、憲法が変わり、民法が改正され、人間関係の秩序・規範を作り上げてきた「家」が廃止された。その結果夫婦中心の世の中が築かれようとしている。
「サザエサン」は過渡的な家族形態をうまく表現している。新婚夫婦を妻の実家に何の問題もなく同居させ、後に「マスオサン現象」といわれた妻方同居や、家族員の対等な関係性を描いて時代を先取りしている。しかし子どもの年齢や甥といった親族の同居など大正生まれの作者の家族観に基づくと思われる部分も混在する。高度経済成長期までの戦後らしさや戦後の華族を知るには格好の教材を提供している。しかしこの家族像にも男は仕事、女は家事・育児といった性別役割分業意識が見え、今では主流から後退している。
ルールがない時代に入ってきた。近代社会は多産多死時代、次ぎに多産少死時代、さらに少産少死へと移ってゆく。この過程で働き盛りの人口が多く、扶養しなければならぬ従属人口の少ない時期が生じる。これを人口ボーナスと呼ぶが、日本はすでにそれを使い果たし、少産少死の時代にはいってきた。子が少なくなくなり、夫婦と未婚の子からなる家族が増えた現在、父系男子による継承ラインは弱体化した。
どちらの親と一緒に住むかが問題になる。結婚相談所ではこれらのことを予測して本音が出る。「マッチングしない理由で圧倒的に多いのは、若いカップルがどちらに属するかについて両家の意見の違いです。」との見方は考えさせる。
結婚してもちろん両方の親が若夫婦を交えてうまくやってゆくような場合もないではない。しかし夫の家より実家を重視したり、孫をどちらの孫と考えるかで親同士の駆け引きしたりする。さらに親は介護を含めた老後の面倒を求め、子達は経済的援助を求める結果、経済力のある親に若夫婦が頼る、というようなケースも目立つ。
このような変化に伴って先祖や家の継承についても大きく考え方がかわってきた。現在では、たとえば先祖とは自分と配偶者の両方の先祖であり、親や祖父母の代程度までをさす。墓にもいろいろな形態が見られるようになった。一つの墓石に両家の家名が刻まれるケース、一つの墓石に任意語や宗教語をきざみ、両家で使用するケース、実名を刻んだ両家の墓石をそれぞれに設けるケース、などである。単系で継承された時代からみれば大きな変化といわざるをえない。
このような流れは、老人サイドから見れば、子どもの介護を当てにしたいが、現実には第三者の世話にならざるをえない。これを「棺おけに自分で入らなければならない時代」と強烈な言葉で表現する人もいる。
墓を永続的に継承する制度や、これまでの祭祀のありかたは、もはや現代社会とは相容れなくなってきた。見方を変えると死後のあり方を自分自身で選択できる時代に入った。永代供養は寺に供養料を払っている限りでの話である。なくなれば墓は処分される。このような現実の前に葬儀や遺言に多様な方式が考えられて当然であろう。
著者は最後に自然志向の葬儀方法を提案している。具体的には散骨、著者の主張する樹木葬などの葬法について、そのやり方などがかなり具体的に記述されており、参考になるものと思う。さて、私自身も老後をどう考えたらよろしいものやら・・・・。みなさんの場合はどうですか。
060307