中央公論社ハードカバー
歴史資料を駆使して、弘法大師空海の生涯をえがき、その実像に迫ろうとした意欲的作品である。しかし、なかなか難しくに、終わりに近い28章冒頭に著者は次のように書いている。
「この稿の題を、ことさら「風景」という漠然とした語感のものにしたのは、空海の時代が遠きに過ぎると思ったからである。遠いがために空海という人物の声容をなま身の感覚で感じることはとうてい不可能で、せめてかれが存在した時代の…・それもとくにかれにちなんだ風景を次々に想像してゆくことによって…・あるいはその想像の風景の中に点景としてでも空海が現れはしまいかと思いつつ書いてきた。そのあげく、空海の肢骨の一部でも筆者に見えれば…・錯覚であっても…・そのときにこの稿をおわろうと思ってきたが、しかし想念の中の山河は茫々としている。主人公の声容はいまだ聴覚しがたいのである。」
讃岐佐伯氏に生まれた空海は、13才で都に出、伯父の元に寄宿しながら大学で学んだ。18才で大学を去るが、このとき仏教、道教、儒教を比較した「三教指帰」を著す。その後放浪し、密教に興味を持つようになった。やがて遣唐使藤原葛野麻呂の一行として最澄、橘の逸勢と共に唐にわたった。長安でサンスクリット語と密教の本質を学び、多くの資料を携えて2年後に帰国する。このときすでに最澄は帰国しており、桓武天皇に認められて密教の祖となっていた。
しばらくは筑紫にとどまっていたが、やがて京に移り、東大寺等の支援をえて次第に認められて行く。最澄は自分の密教が本物でないことを知り、空海から書を借り、教えを公庫ともあったが空海は冷たい。やがて世は桓武天皇から平城天皇をへて嵯峨天皇の御世に移る。藤原薬子の乱などもあったがうまく乗り切った。空海は言上して高野山に堂宇を建て、日本における真言密教の基とする。
ところでこの書で一番難しいのは空海の言う密教とはそもそも何物であろうか、と言う点だ。そこのところを何とか知ろうとしたところ、どうやらそれは仏を信じて一心に修行する事によって自我が現れ、おのずと分かるもので、こうして本を読んだだけでは分からぬ物らしい。その点はまた借経をくりかえし、筆耕を通じて密教を理解しようとする最澄にたいする態度にも現れている。ただ、それだけでは何となく不燃焼だから、高野山のホームページからとった真言密教のさわりを載せておく。
空海の生身の人間像というのも今一つ伝わらなかった。性欲も功名心も強かった男らしい。とすれば中国でも日本でもその形跡が現れても良いのだが、もう1000年以上も昔、表題が示すように、現存している資料からはそれらはすっぽり抜け落ちているということとしてあきらめる以外ないのかも知れない。
・ 人間も犬も今吹いている風も自然の一表現という点では寸分変わらないと言うことを知ったのは大乗仏教であったが、空海はさらに抜け出し、密教という非釈迦的な世界を確立した。密教は釈迦の思想を包摂しはしているが仏教のように釈迦を教祖とする事はしなかった。大日という宇宙の原理に人間のかたちをあたえてそれを教祖としているのである。(上9p)
・ 空海は素直にこの道に進むのだが、結局は、この創造力にあふれた少年は、膨大な注疎の暗唱をして一切創意が許されないと言う知的煉獄にあえぎ、沙上で渇えた者が水を求めに走るようにしてそこから脱出するのである。(上47p)
・ かれがなしとげた真言密教の確立というのは、平安王朝の中期以降にほとんど流行のような現象として現れるところの、一陣の無情に見回れてにわかに世をはかなみ、頭を剃り、人間であることをやめ、山林に隠れてひたすら来世をこいねがうという風の厭世的出家では丸でなかったと言うことであった。空海における真言密教の中には型どおりの仏教的厭世観は淡水の塩気ほどもない。(上49p)
・ 空海は自分の体の中に満ちてきた性欲というこの厄介で甘美で、しかも結局は生命そのものであるという自然力を、自己と同一化したり懊悩したりすることでなく「これは何だろう」と、自分以外の他者として観察する奇妙な精神構造を持っていた。(上73p)
・ インド人は五十六億七千万年、弥勒が地上に降りてくるのを待つよりもむしろ弥勒が常住そこにいて説法をし続けているという兜率天にこちらから出掛けて救われようと言う機能を作り上げた。(上83p)
・ なぜならば純粋密教というのは、空海がそれを確立した者以外にはその後程なくインドでも中国でも消え、チベットではすぐさま変質し、今ではどこにも遺っていないからである。空海の思想のみが遺った。(上142p)
・ 「奈良仏教は論にすぎないのではないか」それはインドの論理学や認識論と言ったものであり、宗教としての体系を持っていないのではないかという疑問を、最澄は十代に持ち始めたように思える。(上153p)
・ しかしその思想体系は等に行かねば公認されないのである。…多くの教典を持ち帰ることも必要であり、あるいはまた密教が命名の内に宇宙の意志と交感する以上、どういう所作をすればよいかと言うことを知る必要もあった。さらに所作のための密具も必要であろう。…・それ以上に必要なのは、空海自身がインド密教の伝承を長安において正当に受けることであった。(上189p)
・ 最澄は「我が国の仏教は論を中心として経を軽んじている。経こそ根本である。天台宗はその経を中心にした体系であって、これを導入することにより日本の真の釈迦の教えが始まるだろう。」(上192p)
・ けん教(ゾロアスター教)について…・「何が善なのか」と空海は、善悪という曖昧なものを絶対視しているけん教に対し、嘲笑を押さえががたく思いつつ、質問したであろう。それに対しペルシャ僧は「善神が善である」と、論理を循環させつつ答えざるを得なかったに違いない。(上309p)
・ 唐朝は、密教の膨大な形而上学や即身成仏などと言う観念上の果実を喜ばず、ごく現実的な行者の呪力の方を喜んだ。(上328p)
・ 奈良の長老というのは、奈良著ぷの頃から伝統的に正解通である気分が続いている。もっとも玄肪(-746)、道鏡(-772)が政治狂いをして自滅していらい、一般に自制する気分があり決して表だったことをしないにせよ、しかし裏面に通暁し、ときに隠微な工作を行うことも十分ありえた。(下108p)
・ 日本の陰陽道は中国の土俗振興である陰陽五行説を基礎とした思想で…・(下156p)
・ 余断ながら、日本において誓いや約束が厳密になるのは、平安の漢文的教養期が衰退して農民の出が武士や郎党として政権の基礎を構成する鎌倉幕府期になってからといっていい。(下183p)
・ …・何だ、あの男は。
と、空海は、自分の思想から見て、鬱懐がつのったはずである。経を読んで知識として教義を知ることは真言密教では第二のことであった。真言密教は宇宙の気息の中に自分を同一化する方法である以上、まず宇宙の気息そのものの中にいる師につかねばならない。師のもとで一定の修行法則を与えられ、それに心身を没入することによってのみ生身の自分を仏という宇宙に近づけうるのである(下240p)
・ 愛などとはいかにも唐突だが、仏教においては必ずしも高貴な感情とはされない。覚者の境地としては、むしろ愛から止揚されて純化した慈悲という不変的な精神と働きが尊ばれ、生の愛はほぼ否定される。…・しかし愛が、人間の精神が持つ生まれついての感情である以上、…・(下269p)
(真言密教ホームページより)
http://www.mandala.ne.jp/shingon/mikkyo2.html
(1)誰もが「生きているままに仏に成れる」と弘法大師は、教えられました。
「悟りを求める強い心を持てば、私たちも仏様のお力(加持力)を受けることができます。」
人間の心の底には、「清らかな仏様になる種」(仏性と呼びます)が隠れています。
その教えが、大師の広められた真言密教です。
(2)われらが一心に如来を観ずれば、一切の衆生を照らす如来の姿が、心水に映る。
加持の力
仏様の真言を至心に唱え、み仏との一体の神秘な心を得れば、自我の意識が消滅し、大いなる宇宙そのものに生を得て、生きとし生けるもの全てに平等の生命を与える如来の深秘なる慈悲の心の存在と、その加持力を感得するとされます。われらが自らの心の実相を知る時、この世のすべての存在が、共に一つの大きな生命を生き、宇宙の生命を自らの生命として生きることを悟るのです。
生成流転する宇宙の真理の象徴である如来の働きは、人や獣をはじめとし、山川草木一切が生命を燃やし、滅して行くその姿に現れます・・・
牧野に遊ぶ馬や牛、空を飛ぶ小鳥たちの躰・鳴き声と意識の働き一切の中に如来の働きはあるのです。この世の有情・非情なる一切衆生の身・口・意の働きの中に、永遠の生命として大日尊は存在します。
私たちが一心にみ仏を観ずれば、衆生界の一切の業障重罪ことごとく消滅すまで、大慈悲の無量の願を捨てざると誓約された仏の三密加持をその時に目の当たりにします。
(「空海の風景」に関係ある主な歴史的出来事)
755 安禄山の乱おこる
774 空海、讃岐に生まれる
781 桓武天皇即位
784 長岡京遷都
788 空海、奈良に上る
794 平安京遷都
802 最澄、高雄山寺で法華会を開く
804 空海得度する
遣唐使藤原葛野麻呂出発(最澄、空海、橘逸勢)
806 平城天皇即位
最澄天台宗を開く
空海ら帰国
809 嵯峨天皇即位
810 藤原薬子の乱
816 空海高野山に道場を開くことを許される
822 最澄没
823 空海東寺を与えられ、教王護国寺とする
淳和天皇即位
835 空海没、
838 慈覚大師円仁唐にわたる
011107