君主論     マキアヴェリ

岩波文庫

作者のマキアヴェリは1469年、フィレンツエ生まれ、上流の出ではなかったが、若いときから書記官などとして活躍していた。しかしシャルル8世のナポリ遠征で、1494年以来フィレンツエは混乱に陥り、過激なドミニコ派の説教師サボナローラの登場をゆるす。その後98年に彼が火刑に処せられ、ソデリーニ司教の支配する時代となる。1512年にメデイチ家が再び統治するようになる。翌年、ローマではユリウス2世の後をうけて教皇レオ10世が即位している。そんな状況の中で、ロレンツオ・メデイチに復職を求めて、1513年から数年かけて書かれたのがこの書である。当初写本が流布されていたが、作者の死後5年経った1532年に出版された。
論旨は非常に明快である。君主にむけたハウツー物と解釈する事ができるが、現代の企業における管理者のあり方にも通じているような気がした。これから会社生活をしようとする人たちには絶好の読み物かもしれない。

前半分はおおむね君主政体の種類、特質および軍隊との関係についてのべる。
世襲の君主政体の維持は基本的には容易である。複合君主政体について言語、風習、制度等が既存の者と似ている地域を獲得した場合は、古い君主の血筋を抹消してしまうこと、住民たちの法律や税制をかえないことで対処できる。異なる地域を獲得した場合の最上の手段は君主がそこに赴いて住み着くことである。もう一つは殖民を送り込むことである。このとき人民は優しくてなづけるか、抹殺してしまうかにする。中途半端はいけない。
さらに続けて著者は征服される以前に、固有の法によって暮らしてきた都市や君主政体、自己の軍備と力量で獲得した新しい君主政体、他者の軍備と運命で獲得した新しい君主政体、極悪非道の方法で獲得した君主政体、市民による君主政体、聖職者による君主政体などについて特色と留意すべき点をあげている。
軍隊については自軍、傭兵隊、援軍、混成軍についてのべる。傭兵軍は危険である。彼らは不統一で、野心にみちていて規律がなく、不誠実である。政体の基盤が彼らにあるということは平時にあっては彼らに、戦時にあっては敵に、剥奪されるだけだ。援軍も役に立たずおなじようなものだ。君主ならば自ら先頭に立って指揮官の役割を果たせ、共和政体ならばその市民を派遣せよ、と厳しい。そして14章冒頭では「君主たる者は、戦争と軍制と軍事訓練のほかには何の目的も何の考えももってはならない。また他のいかなることをも自分の業務としては成らない。」と断じている。

後半、君主はほめられたりけなされたりそれをどう考えたらよいかについて述べている。
君主の心構えであるが、なかなか厳しい書き方をしている。
「この世で偉業を成し遂げた者のなかに。吝嗇ん坊と評判のなかったものはいない」、「時に応じて信義にそむき、慈悲真に背き、人間性に背き、宗教に背いて行動する事が必要だ。」
「軽蔑を招くのは、一貫しない態度、軽薄で女々しく、意気地なしで優柔不断な態度だ。君主は自分の行動が偉大な者であり、勇気にあふれ、重厚で、断固足るものであると認められるように勤めなければならない。」、「君主は何の憚りもなく、一方に味方し、他方に敵対するとき尊敬される。」などとしている。
秘書官が誠心誠意支配者のために働いている、と認められるときは支配者の頭脳は高い。しかし側近があなたのことより自分のことを優先させて考えているようであれば断じて信頼してはならない。追従者にはついだまされやすいが、避けるために選ばれた者たちだけに発言の機会を与え、しかも自分の尋ねたことだけに答えさせるとよい。後は自分なりの方法で、決断を下さなければならない。
最後にイタリアは君主たちが政体を失った、これをまとめなおすのは、あなたしかいらっしゃらないと思うがそれにはどうしたらよいか、について述べている。今までのイタリア諸侯の政体を見ると、軍備にまつわる共通の欠陥が浮かび上がってくる、ご尊家が過去に習おうとするなら、まず固有の軍備を持つ必要がある、この固有の軍隊こそがご尊家を繁栄させると結んでいる。

041205