新潮文庫
「この数年来、小畠村の閑間(しずま)重松は姪の矢須子のことで心に負担を感じてきた。数年来でなくて、今後とも云いしれぬ負担を感じなければならないような気持ちであった。」
重松は、昭和20年8月6日朝の出勤で可部行の電車に乗り、電車が横川駅に停車していたとき、目もくらむほど強烈な光りの球をみた。原子爆弾である。同じ頃自宅では妻のシゲ子が被爆した。家に預かっていた姪の矢須子は吉江に言っていたから一応大丈夫だった。一瞬の閃光に町は焼け崩れていた。3人は落ち合い、自宅に残した物を回収するなど被爆地をさまよい歩き、黒い雨に打たれた。
それから何年か経って、重松は被爆してから終戦の15日までの被爆日記を作成する一方、矢須子のことを案じていた。矢須子は「戦争末期女子徴用で広島市の第二中学校奉仕隊の炊事部に勤務しており、原爆病患者だ」との噂をたてられ、婚期が遅れていた。しかも実際に矢須子は被爆地を歩き回ったおかげで、原爆病に蝕まれていた。
作品はこの重松の被爆日記、関連資料、現在の重松夫婦と矢須子の生活を交互に描く形で進められて行く。そこには「政治的」論議はない。庶民の立場から正直にあるがままが詳細に伝えられている。いろいろな人の経験談を聞いたり、あるいは資料を集めるなどしてそれをアレンジして作り上げたのだろう。それだけに臨場感があり、この作品のすばらしさで心を打つところだと感じた。
最後の終戦の詔勅を聞いた後、重松は工場の食堂を出て裏庭に出る。「今度は慎重に足音を殺して近づいたが、鰻の子は一ぴきも見えないで透き通った水だけが流れていた。」のである。そして今、重松は友人と鯉を孵化させようとしている。「毛子の生育は上々で、大きい池の方の養魚池の浅くなっている片方にじゅんさいがうえてある。」状態にまでなった。それを見ながら彼は「今、もし、向こうの山に虹が出たら奇跡が起こる。白い虹でなく、五歳の虹がでたら矢須子の病気が治るんだ」とどうせかなわぬ事と分かっていても、そう占うのである。悲惨なただ悲しい経験であったが、何かそこに希望を見いだしたい、作品の庶民性と明るさを感じる。
戦後半世紀以上、原爆の話は年と共に風化し、議論のためにのみ使われる傾向が強いように思う。しかしこの作品は小説の形を取っているとは言え、原爆の悲惨さのありのままの姿である。そういう事実をふまえての議論でなければいけないと思う。
010904