岩波文庫
饗宴は、現代の「シンポシオン」は「一緒に飲む」というほどの意味。二重間接説話で、アポロデテスが16年ばかり前(紀元416年)に、アガトンの催した祝宴に列席したアリストデモスから聞いたことを、二、三の友人にかたった。プラトンはそれを記した、としている。
書物に書かれている順に従って概要を述べてみよう。
一堂に会した人々が杯を重ねつつ、次々にエロス(愛)賛美の演説を試みる。
ファイロドロスは当時のアテナイ人の代表的な考え方だろうか、エロスは人間を徳へ、美しき生活へと導く、そして美しきものと名声あるいは恥辱との間には密接な関係がある、結果エロスは必然的に美と結合する、と説く。
バッサニアスはエロスには高貴なるもののそれと万人向けのもの、二種類がある。前者の目的は精神的教養と 徳における愛者と愛人の間の相互促進である。後者は俗人のもので心霊よりもむしろ肉体を愛する。特に男性間の特に青年に対する愛を、智と得を終局目的としていると賞賛している。
エリュキシマコスはエロスを全自然と芸術を支配する一原理とする。幸福をもたらし、人間相互、あるいは人間と神の間に友情を生ぜしめるものは、ただ真実のエロスのみである。あらゆる種類の秩序はエロスによって保たれ、ついに教養ないし教育にいたるまでエロスを必要とする、と説く。
アリストファネスは、もともとが球形であった人間が粗暴であったため、神が二つに分けたとの譬話を持ち出す。人間は互いに短所を補うために相結合しようと切望しており、神に対して従順であるならばエロスはそれをかなえると述べる。ここではエロスを不完全な人生を完全なものにかえる理想追求の努力であるとする。
五番目のアガトンは今までの議論はエロスの働きや恩恵を重視し、その本質を忘れているとし、エロスが美しきものに向かうという考えで遊戯好きな愛の神を説く。
最後に立ったソクラテスが、エロスは肉体の美から精神の美、さらには美そのものへの渇望すなわちフィロソフィア(知恵の愛)に高まると説く。
彼の考えは巫女デイオデイマから聞いたという形をとっている。エロスは美しきものへの愛、すなわち所有しないものに対する憧憬または渇望で、それ自身は美しくも醜くもなく、その中間にくるものだ。幸福を永遠に所有せんことを欲し、肉体的には生殖によって個体の延長をはかろうとする。一方で精神的な生殖をしようとするものは、自他のうちに智見と徳とを作り出すことに努力する。
人間はエロスに駆られて、美が関与するあらゆる段階を通過する。生涯でみれば具体的かつ特殊な感覚美から一層広大で霊的な精神美へ登り行く過程である。段階的に述べればまず美しき肉体に愛を感じ、慣習や制度上の美に愛を感じ、心霊上の徳性、学問上の美、最終的には絶対美にたいする愛にいたる。そして最後の愛の段階を体験した者は、フィロソファスすなわち愛智者となる。こうしてみるとエロスこそが人生の最大の原動力である、ということが出来る。
読み終えてプラトニックラブはこの書からきたのだ、と気がついた。しかしどうも私たち凡人が考えるエロスは・・・・・・なかなかこうは行きませんね。
050416