日本実業出版社
釈迦入滅後、弟子たちがその教えを集めてお経を編集した。そのお経にそって修行を積み、人間の苦しみの根源を知り、それを断って心の平安を得て自己を完成するのを顕教という。それなら釈迦は宇宙の真実の声を聞いて仏陀になられたが、それならわたしも修行してそれを直接に聞こうというのが密教である。
密教の主役は大日如来で、自然の力の一部をあらわすような小さなものではなく宇宙全体が一つの体になって入っている、と考える。悩みを抱えた人間の総代表金剛薩?が大日如来の心の声を聞いた。それをさらに龍猛という学問僧が聞き「大日経」と「金剛頂経」にまとめた。マンダラはそれを視覚で理解する「目で読む根本経典」で、大日如来の頭脳の絵と心の絵の2枚からなっている。
龍猛は2,3世紀の人であったからその時代の習慣や地方に残っていた民間信仰、なかでも圧倒的な信仰を得ていたヒンズー教の神や教えや儀式がどっと仏教の中に入ってきた。密教は中国にわたった後、空海を経て日本に9世紀に真言密教の形で入ってきた。
密教の教えのポイント:
1 私が大日如来になれる 大日如来は宇宙全体を一つの人間に見立てたもので6つの要素からなる。人間もまたその要素を持っている。入我我入とは、もともと持っているその素質を鍛錬させて、秩序をただし、大日如来と一体化することである。
2 このからだのまま今すぐに自己完成 仏教一般は煩悩を絶つことで成仏(自己完成)できるとするが、密教では死んでから自己完成しても意味がない。生きている間に入我我入してもっとも自分らしさを実現してこそ人間として価値がある。煩悩もあえて否定せず、積極的に命をはずませるバネにしてゆく、小欲にとどまらず、社会全体の幸福のために動く大欲に至れ、と説く。
3 自分を転進させる三つの行い 三業を三蜜に転じる行いが大切である。自分の気に入らぬ人を憎む意業を観想することによって、偏りのない考えと、相手への思いやりを行う意蜜に変える、よくないことを思い嘘をつく口業を真言をとなえることによって、愛情のこもった真実を語る口蜜に変える、己の欲望のために動く身業を、大日如来を思って印を結び、責任と誠意を持って行動する身蜜に変える、の三つである。
4 宇宙の力をこの身に受け止める バランスを崩しやすい形で時代が動いている現在心の調和が崩れて行き詰まり、からだの健康の状態を失う事が多い。これを合理をこえた宗教的な衝撃を体験することで一気に回復しようとする。
5 身の回りの一切が輝いて見える 密教の目的は現実がどんなに汚れていようと、あくまで現実を充実させ、住みよくして行こうということにある。苦界を浄土とし、自分と大日が一体化すればものの見方が深くなり、人の善意が素直に受け止められ、木々の緑がつややかにひかり、小鳥の声が仏の声に響いてくる。
マンダラには中央の蓮華台の仏の周りを他の多くの仏たちが囲んでいる胎蔵マンダラと画面が9等分されている金剛界マンダラがある。
前者は大日経の説く世界を現したものである。外側から順に心の階段を登ってゆくように描かれている。第一段は欲望に拡大鏡を当てそんなにしたい放題でいいのか、と考えさせる。第2段ではほんの少し欲望を抑えるとどういういい事があるかを説き、仏心が芽生える。そんな風に進み第8段ではお互いに尊敬し、尽くしあい、誰も等しく心は清浄になる。第9段では宇宙の一切に仏の命が宿ることをしり、最後の第10段では仏とは安住しない心であると悟り普段の鍛錬が必要なことを認識するにいたるようになっている。
後者は仏の姿を通じて日常のあるべき姿を論じる。今日をみずみずしく生きる、暮らしの模様をきめ細かく、感謝の気持ちを素直に表す、目先の欲望にとらわれない、ハンデイを自己表現の活力に、安きにつく心に慈悲の怒りなどである。
二つの絵をもとに鍛錬を積み、完成された人間になることを密教では目標としている。
面白いと思ったのは密教の考え方、実際にはなれぬか知れぬが自己完成なるものを目指して毎日、毎日を過ごしてゆくことは坊さんならずとも、大切なことと思った。そしてその目標とするところも宗教色をのぞけば私にもあてはまるように思えた。
040628