「右であれ左であれ、わが祖国日本」   船曳建夫

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この本のタイトルが気にいった。著者は、1948年生まれ、東京大学卒、現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。専門は文化人類学。タイトルはジョージ・オーウェルの小論「My Country Rights or Left」からとった。
現在、各方面で憲法9条、教育問題などいろいろ議論が行われているが、時としておたがいイデオロギーに走り、本当に祖国日本をどうしたいのか、という基本認識が欠けていないか。そのもとには、この国の将来像に漠然とした不安があるからではないか。
著者によれば、国のあり方について、過去に三つのモデルが提案された。「国際日本」「大日本」「小日本」である。織田信長は、キリスト教に関心をしめし、仏教を無化し、南蛮貿易に興味をしめすなど、日本を国際的に捉えようとした。秀吉は、明を視野に入れた朝鮮出兵を行い「大日本」をめざした。江戸幕府は、当初は違ったが、次第に「小日本」モデルを採用し、鎖国をするにいたった。明治政府は、日清・日露に勝利する頃から、「大日本」モデルによって国を運営しようとした。しかし日本の天皇制は、アジアを覆うだけの理念にはなりえなかった。また日英同盟などを通じてみせた「国際日本」は見せ掛けだった。
戦後日本の外交は、日米二国間関係のみに重点を置いて進められ、「国際日本」モデルを描くことはできなかった。地政学的な無関係なヨーロッパとは文化的交流、国連の下では「戦争」の要素を取り去った「平和機関の一員」として交流、第三国には高次のものを描けないままODAを配って回るサンタクロース外交であった。
「いまの日本」が始まる転機は、1989年10月「ベルリンの壁崩壊」、1990年1月に始まった「バブル崩壊」、1990年4月に起きた「第一次イラク戦争」(湾岸戦争)ではなかったか。湾岸戦争で130億ドルもむしられながら感謝されず、右も左も国辱で傷つけられた。アメリカの日本に対する態度は、この戦争で「お前たちも手伝いをしろ」になり、9.11事件以降ではさらに1歩踏み込んで「自分を守ってもらうだけでなく、俺たちを守れ」とかなり悲痛な叫びに変わってきた。そしてイラク出兵。そんな中で米中接近などに見られるように、アメリカの親としての子離れも始まった。日本は、これからどのように自国の未来象を描き、行動すべきか。
議論で、海に囲まれた日本の地政学的特色も考えねばならぬ。第一次大戦時日本は連合国から派兵要請を受けて対応に窮し、巡洋艦など三隻を派遣しただけで、陸軍の派遣には応じなかった。所詮ヨーロッパは、遠くの国なのである。一方で日本は、今では米国、中国、ロシアの三つのビッグパワーに囲まれた存在である。
日本自体は緩やかな下り坂に入った、という事が出来る。躍進する中国にはかなわないだろう。そこで150年ぶりに「小さくても誇りの持てる国」などと奇麗事を並べ「小日本」論が復活しているように見える。しかしそのサイズを今のまま保つには、余程考えねばならぬ。「小日本」で、アメリカとどのように「双務性」を持った関係を築けるのか。また中国、ロシアに対抗するために、「小日本」モデルが許されるのか。
著者自身は、「中庸日本」に生きる道を見出したい、とする。東アジアでは中、ロ、米と日が四つに組む時代が始まった。六カ国問題は中、ロ、米は当事者であり、日、韓、朝は利害対象者と見るのが正しかろう。核実験によって、利害対象者にすぎぬ北朝鮮が、前者入りを果たそうとしたことが、大きな問題を生じた。日本は、明治維新のおり当事者となるか、利害対象者となるか、二者択一で道を選ぼうとした。前者を選んだが、結局は失敗した。第三の道はないのか。六カ国会議を念頭に、著者は、アメリカには、集団的自衛権の出し惜しみを、中国には、万一の紛争に備えたシミュレーションを、韓国には、南とは良好、北朝鮮の崩壊時には積極的な支援を、他のアジア諸国には集団的自衛権をいかに認めてもらうかが大切と主張する。全てに首肯できるものではないが、傾聴に値する。
最後に著者は「わが祖国日本」と言う場合、歴史的連続体としての日本と、近代の中で作られた日本国の二つの面があるとする。日本人であることはそれでよいのだが、これからは日本国をどうするかを考えないと、飛んだことに責任を負わされたり、義務が生じたり、はては不孝を味合わされたり、他人を不孝にしたりすることになる。・・・・・この考え方には全面的に賛成!

2007年4月9日(月)