ミカドの淑女         林 真理子


新潮社ハードカバー

 明治40年2月、日露戦争に勝利して2年。ミカドは岡崎から取り上げた平民新聞をお読みになる。「妖婦下田歌子!!!」それには彼女がその色香で翻弄したとする重臣たちの名が載っている。伊藤博文、井上馨、山縣有朋、黒田長成・・・・・。
 ある人間の事を書くのに、時を追ってのんべんだらりと書いてもそれでは読むものを感動させない。作者は、希代の女官にして学習院教授兼女学部長にまでなった才媛下田歌子の事を書くに当たり、明治40年、功なり名遂げながら、幸徳秋水発刊の平民新聞のえげつない攻撃に押しつぶされ、その歳の11月非職を命ぜられるまでの出来事に的を絞っている。うまい書き方で、豊富な資料を駆使し、文体も明治の宮中の雰囲気を出していることとあわせ、優れた作品に仕上がっている。
 嘉永7年、彼女は、美濃の国岩村藩士平尾家の娘として生まれた。幼くして才走り、明治4年宮内庁に出仕、皇后にたいそう可愛がられ、和歌が得意であったことから歌子の名を拝命。12年に宮中勤務を辞し、幼い時の約束に従い、時代遅れの下田猛雄と結婚した。14年桃妖女塾をもうけて良妻賢母教育に専念。18年宮内庁御用係として再出仕、翌年華族女学校創立にあたり幹事、32年実践女学校創立、39年学習院教授兼女学部長にまで上り詰める。
 ところが平民新聞から上述の記事に始まり、夫の非難、重臣たちに娼妓のごとく尽くすこと、そのおかげで女学校に10万円もの金が出されていたこと、医学博士三島通良との恋、弟の非難、借金に苦しんでいること、財産差し押さえ、堕胎の噂等々散々に書き立てられる。さらに希代の占い師飯尾吉三郎との恋まで発覚。噂話でも語るように、いろいろな人物の視点から、エピソードが積み重ねられ、次第に彼女の実像が明らかになり、話がのっぴきならぬ所まで行ってしまう。
 皇后を初めとする女性陣は、尊敬する歌子を守ろうとするも限界。次第にそれが大きく取り上げられ、処分が歌子の苦手とする乃木希助将軍にゆだねられる。最後に将軍は「皇后は・・・女たちはと言い換えてもいい。明治など少しも望んでいなかったのではないか。後宮ははたえず不満が渦巻いている。・・・だから女たちは、帝に政治を教えた革命などと言うものを憎んでいる。」と認識し、歌子を非職にする事を決心する。
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