ミケランジェロ  会田雄次


ミケランジェロは、晩年80歳近い孤独な老人になったとき、三つのピエタを彫っている。ヨゼフとマグダラのマリア及び聖母に抱かれる「フィレンツエ本寺のピエタ」、未完成のマリアと聖女に抱かれた「パレストリーナのピエタ」、破壊された息子イエスを抱く「ロンダニーニのピエタ」である。ピエタはキリストの死を嘆き悲しむマリア等の総称であるが、表現は自由、これら作品にミケランジェロは何を表現しようとしたのだろうか。時代と彼の生涯を振り返りながらこれを明らかにする事が本書の主題である。

当時イタリアの国王権力にあたるものは、ドイツの神聖ローマ帝国であった。しかし名都市は、商人層が十分に富んでおり、その経済力を背景にほとんど独立的な地位を勝ち得ていた。ルネッサンスは、このような独立都市国家の文化で、一般的には封建的な社会からの解放と考えられる。フィレンツエは、毛織物工業が盛んで、共和制をひきながら14世紀後半から商人君主の王朝メデイチ家が支配するようになっていた。

ミケランジェロは、1475年、フィレンツエ東南100キロほどのカプレーゼという小さな村で生まれた。父はフィレンルエ共和国の役人として町の総監督を務めていた。
当初石切工のもとに里子にやられたが、やがて画家ギルランダイヨのもとに内弟子として住み込む、その推薦でサンマルコ広場内に創設した彫刻学校に入る、作品が認められメデイチ家の三代目でロレンツオのもとで建築、土木、絵画、自然科学を学んだ。しかし1492年、ちょうどコロンブスが新大陸を発見した年、ロレンツオ死去。

やがてフィレンツエは、メデイチ家の腐敗と市民の享楽を攻撃するドミニコ派修道僧サボナローラの支配するところとなる。1494年若いフランス王シャルル8世がナポリを打つためにフィレンツエに侵入する。サボナローラはこれをうまく収めたために人気を得る。ミケランジェロは、サボナローラに強い影響を受けたが、彼のぜいたく品の没収と焼却など禁欲的すぎるやり方は民衆の反発を招くようになった。
サボナローラ失脚後、1504年、29歳でローマ法王ジュリオ2世に召され、その下ではたらくようになる。しかしミケランジェロは激しい気性の法王としばしば対立した。またブラマンテやラファエロとサン・ピエトロ寺院の改装などをめぐって対立した。一時はトルコに逃げ出そうかと考えたほどである。1512年に旧約聖書に題材をとったシステナ礼拝堂の天井画を描き始めた。何事も自分でやらねば気がすまず、弟子も絵の具を混ぜるためにのみ使う程度、他人にほとんどを任せるラファエロなどと作風を異にした。
1512年ジュリオ2世が没し、ミケランジェロは再度の打撃を受ける。「作品を完成させない。」などの噂も立ち、必ずしも順風満帆とは言いがたい。私的にもミケランジェロは度々変わる法王の意思に振り回され、一方で一族郎党のたかりに悩む。それでもレオ10世の即位後、彼のもとで「蹲る青年」「モーゼ」「奴隷」などの彫像を残している。しかしそれらは、彼自身あるいはフィレンツエ等の苦悩を現しているようでもある。

フィレンツエでメデイチ家が復権をはたすと、ミケランジェロも一時戻り、メデイチ家の墓廟つくりに専心する。しかし1524年ころ、クレメンテ7世のおりドイツ農民戦争が起こり、イタリアは荒廃し、ルネッサンスは終ったかにさえ見えた。
ミケランジェロは、多くの若き男性を愛したが、女性となると少ない。50歳を越えてヴィットリオ・コロンナなる女性と交際を行っている程度である。彼女はやがて他界するが、その影響で、創作意欲もわいてきたのか、60を越えたころ生涯の大作「最後の審判」(1541)や「聖パウロの回心」「さかさ磔にあうペテロ」などの作品をものにする。
「最後の審判」はミケランジェロの怒りをすべてぶつけた作品にみえる。サボナローラの教えそのままに、キリストの憤怒と激しい断罪が扱われている。またキリストを初めマリアでさえ、すべて全裸で表現したが、これが一時人々の激しい非難をあびた。
そして冒頭に述べた三つのピエタ。そこに我々は孤独な老人の影とサボナローラの影響を見るのであるが、詳細は作品に譲ることにしたい。

最後にミケランジェロは、矛盾に満ちた男である。民主主義を唱えながら法王に仕える、戦闘を叫びながら逃亡する、信義・友愛をときながら、同志を見捨てる、性格的にもおこりっぽい、闘争心に富むが臆病、涙もろいが残忍、豪放そうだが小心、意のままに振舞うようでいて他人の評判を気にする等々・・・・・。しかしなんとなく名人かたぎのガンコ親父を見るようではないか。

彼は、1564年88歳で、寂しくこの世を去るが、すでにダ・ヴィンチもラファエロも他界し、フィレンツエの共和制崩壊と共にルネッサンスそのものも過去のものになっていた。
国際的にはルターの宗教改革が始まり、イギリスでエリザベス女王が即位し、絶対主義が最盛期を迎えようとしていた。

041119