新潮文庫
明治29年から33年にかけて「国民之友」「文芸倶楽部」「太陽」などに発表された作者の第一短編集である。
読みながら、これは小説集かエッセイ集かと疑問に思った。思った如く、吉田精一の解説では、作品を4つに分類している。(一番最後の「糸くず」はモーパッサンの作品の翻訳であるからのぞく)
1美文調の純然たる散文詩…・・「星」「たき火」「詩想」
2随筆、もしくはエッセイ……「小春」「武蔵野」
3スケッチ風のもの…・・「まぼろし」「初孫」「初恋」「鹿狩」
4小説の体をなしたもの…・・「郊外」「置土産」「源叔父」「おとづれ」「忘れえぬ人びと」「河霧」「わかれ」
どの作品にも共通しているのは詩的趣である。いくつかについてコメントをつける。
武蔵野
武蔵野の詩趣について、人と自然の関わりにおいてプロットなど考えず、丁寧に描いている。ただこれは独歩が自分で感じたのどかさを残す、心の中の武蔵野であり、現実には急速に変わって行っているのだと思う。
・ 町外れの光景は何となく人をして社会というものの縮図を見るような思いをなさしむるからであろう。言葉を換えて言えば、田舎の人にも都会の人にも感興を起こさしむるような物語、小さな物語、しかも哀れの深い物語、あるは抱腹するような物語が二つ三つそこらの軒先に隠れていそうに思われるからだろう。(29P)
源叔父
「忘れ得ぬ人々」と同様、人間の寂しさを唄った作品である。愛する妻、最愛の子供を失った渡し守の源叔父は、天涯孤独の身となった。彼は、紀州なる地元にいつの間にか現れた身寄りのない子を引き取り、寂しさを紛らわしたかに見えたが、その子が消えてしまって…・。
河霧
22歳で故郷をでた上田豊吉は、おおよそ20年ぶりに都会で失敗して帰郷した。彼には故郷の優しさがたまらなくうれしかった。周りのものが、彼に塾を始めることを勧め、明日はその開校式を行う日である。その夜彼は一人大川のほとりに出た。「山河月色、昔のままである。昔の知人の幾人かはこの墓地に眠っている。…・・渠(かれ)は疲れはてた。一杯の水を求めるほどの気もなくなった。」
忘れ得ぬ人々
出だしに、何とも言えぬ親しみを感じた。「多摩川の二子の渡しをわたって少しばかり行くと溝口という宿場がある。その中ほどに亀屋という旅人宿(はたごや)がる。ちょうど三月のはじめの頃であった。」何の変哲もなく読めるが、場面を簡潔かつ的確に示している文章だ。
題名からして、特別の思い入れのある人の話と考えたが、実は瀬戸内海のさびしい島かげの小さな磯をあさっている黒い点のような人間、阿蘇山の噴煙のたなびく月明かりを、里謡を歌いながら空車をひいて通って行った若者、三津ヶ浜の魚市のほとりに琵琶をひく僧…・という。なぜ忘れ得ぬかと言うと、作者自身が「人生の問題に苦しんでいながら又た自己将来の大望に圧せられて自分で苦しんでいる不幸な男」であり、「独り夜更て灯に向かっていると生の孤立を感じて耐え難い程の哀情」を催してくる。そんなとき、何だか人懐かしくなって、僕の心に浮かんでくる。」と言うのである。その理由は「皆なこれこの生を天の一方地の一角に享けて悠々たる航路を辿り、相携えて無窮の天にかえるものではないか。」と考えるからである。詩的というか虚無的というか、そんな感覚の中から象徴的に作り出された人々であることがわかる。
初恋
子供の頃、主人公は「僕は孟子が好きですから。」とうそぶいた事が縁で、近くの「大沢の頑固老人」に可愛がれれる用になった。そこに可愛い娘がいた。最後のオチが利いている。「これが僕の初恋、そして最後の恋さ。僕の大沢と名のる理由の従ってわかったろう。」
011219