ちくま新書
日本人は無宗教・無思想・無哲学だという。それは「ゼロ」のようなものではないのか。しかしゼロは「何もない」状態をあらわしつつ、同時に数字の起点でもある。ならば「思想がない」というのもひとつの思想のありようではないか。本書は日本の風土と伝統が生んだ「無思想という思想」をてがかりに、現代を取り巻く諸問題を読み解く。
以下、抜書きしながらポイントをまとめてみる。
「日本の世間に自分なんて物が、はたしてあるのだろうか。自分があって当然と思うのは、自分の方から見ているので、世間から見たら、自分なんて何ほどのものか。」(8p)
・・・・・自分というものがあって当然、と考える人が多い。しかし自分なんてものは世界から見たら60億分の1、ほとんど点である。
「自分とは「創る」ものであって、「探す」ものではない。それが大した作品にならなくたって、それはそれで仕方がない。・・・・大切なことは、感覚の世界つまり具体的な世界を,身をもって知ることである。」(54p)
「なぜ日本人は自分に思想がないと思いたがるのか。一つはそれが謙虚な態度に見えるからであろう。・・・・・もう一つは「自分には思想がない」と思ったときから、それ以上思想について考える必要がなくなるからであろう。」・・・・信仰もこれと同じである。・・・・「特定の宗教を信じない」という態度を採用する。・・・・一番経済的であることはすぐにわかるだろう。」(73p)
・・・・・何を信じているのか(いないのか)わかりやすい。どういう教義内容を信じたらいいか考える必要がない。何かを信じたときに起こる「だまされた」という問題を避けられるなどの理由だ。それでいて「困ったときの神頼み」
「明治維新・・・仁義礼智信忠孝悌でまっすぐ一筋に来た物を今日からは鹿鳴館で西洋近代。・・・・敗戦前と敗戦後では思想をどう改変したのか。中国や韓国はそれを知りたいというのであろうが、「俺には思想なんかない。」という人たちの集まりでは回答のしようがない。」(98p)
・・・・・こんなとき日本人はやむをえない、という。この転換のはやさにほとほと感心してしまう。
「丸山真男が述べたように、日本人は理論信仰と実感信仰が分裂してしまう。理論信仰とはともあれ思想の主張なのだが、残念ながら「思想なんてない」・・・・「現実に合う」思想なら、それはただちに現実化してしまう」(129p)
「だから自民党には思想なんかない。そんなものがあったら、自民党はそもそも成り立たない。たちまち「自民党じゃなくなる」」(129p)
・・・・・社民党のような理論信仰派が憲法9条問題を引き起こす。しかし集団自衛権を考え、国連常任理事国になりたいとなったとき、「やむをえない」状況がうまれ、改正論議がおこる。それがどの程度やむを得ないかが問題である。
「歴史は現実に介入する」「戦争は終った。過去のことなんか関係ない。」(135p)
「なにしろ「死せる孔明、いける仲達を走らす」「墓を暴いて死者を鞭打つ」国である。日本は・・・死んだ途端ホトケになり・・・・現在に死者が介入することなんか、実質としてはありえない。」(136p)
・・・・・人がたたるなら神社くらい建てておけばよろしい。小泉首相は「俺だって、東条さん恨まれたくないからね。」と一言言えばいい。別に不思議ではない。逆に中国人には「いけない」なんて規則はない。第一少し前まで法治国家じゃなかったんだから。「ただの日本人」は靖国なんか行かなくていいよ、というだろうが、直接行くなと指図されたら怒るのは当然。
「だから日本の軍隊では、兵と下士官はいいが、将校はだめだといわれたのであろう。将校は概念世界の生き物だからである。」(172p)
「概念世界そのものが信用できないのではない。概念世界に入れ込むなら、つまり思想に殉じるなら、それはそれで専業にちかくなるしかない。」(173p)
・・・・・現実は五感で捉えられるが、思想はそれを表現に顕さなければならぬ。著者は五感でちら得られる世界を感覚世界と呼び、それによって脳内に生じる世界を概念世界と呼ぶ。言葉はその重なり合った部分に生じる。日本に思想がないという話を最初にしたのは大宅壮一だそうだ。無思想は世界的には少数派で、議論ではやられる。しかし無思想はだめというわけでもない。無思想の世界では、思想は現実には干渉しない、が原則である。そのために感覚世界と概念世界を行ったり来たりしながら進んでゆく。
「どのような思想であれ、完全な思想などというものはない。」(227p)
・・・・・俺の思想は正しい、というのは間違っている。無思想であるなら,有思想に対して感覚世界で対応するしかないはずである。「宗教のないない社会はない。」ヒトは何かを信じる存在である。それなら何かを信じればいい。その意味で私は「何も信じないことを信じる。」
「自分が変われば、世界全体が微妙にずれて見える。大げさに言うなら、世界全体が違ってしまう。それが「面白い」」(232p)
「なぜ私は私、同じ私」でなきゃならないのか。・・・・そんな私なんか、どっかに置いてくりゃいいのである。」(233p)
・・・・・これはこの書の結論のように見える。「私は私、個性のあるこの私」と声高に言うのは要するに「実体として自分に確信がない」だけだ。
060516