娘は男親のどこを見ているか

講談社+α文庫  岩月 謙司

序章に著者の考えが凝縮されている。自分なりにまとめると以下のようになった。

父親と娘は、親子と言うより恋人に近い関係である。娘は、幼少期から「父親に振り向いてもらいたい」「父親にヤキモチを焼かせてみたい」と恋人に願うようなことを考えている。しかし「素敵な男性」と認めてはじめて、彼をお父さんと認知するが、認定基準に合格しない場合は、「お父さん」と呼ぶことにすらおぞましさを感じる。一方で「素敵な男性」である父親を恋人にできないと腹を立てる。

女性は楽しいこと、うれしいこと、おいしいこと、気持ちがよい事が大好きで、そういうものを与えてくれることを父親に望んでいる。自分を守る騎士であってほしいと願っている。ただし性の対象として愛されたいとは少しも思っていない。

女性は3歳を過ぎるころから、父親と母親に興味を持ち、両親の夫婦関係を熱心に眺め、その中で父親が自分にどう接してくれるかをチェックする。小学校の頃になると父親からどれだけ愛されているかという「愛され自慢大会」をする。

恋愛をする頃になるともう理想の男性像が出来上がっているが、それに父親の実像が入ってくる事が大切である。理想の男性像は一度出来上がってしまうとなかなか変えることはない。娘は恋愛に失敗してもそれを追い求め続ける。そういう意味では女性はきわめて保守的である。実家でこの方針で生き残れたと言う成功体験があるからだ。

女の子は一般に父親にベタベタしてもらうのが好きだ。これは皮膚から沢山の愛情を吸収できるからである。しかしそうしてもらっても、安心やリラックスができないと、皮膚センサーは感度を落としてしまう。気色の悪いものを受け入れたくないからである。これはセクハラを嫌う理由にも通じる。結果、そのような女性はセックス拒否症になることもあるが、逆に心が満たされず、さみしさからセックス依存症になる事もある。

「私、パパのお嫁さんになる!」これは女の子が時々言う。「ボク、お母さんと結婚したい!」という男の子はまずいない。父親と強い信頼関係で結ばれた女性は、おなじように誠実で自分を愛している男性がいるに違いない、と恋人を探し続ける。しかし父親との恋に破れると「実の父親でもあんな程度だった。まして父親以外の男性で、父親以上に自分を愛してくれる人などいるはずがない。」との世界観をもち、男性不信を募らせる。

父親との恋を確認するために女の子は時として理不尽な要求をして父親の愛を試す。長じるといよいよママと対決する。愛され比べの対決である。お母さんが牛乳買ってきてと、お父さんに頼んだとき、娘はチャンス到来と「ねえ、ねえ、お父さん、絵本読んで!」とせがむ。こうして男親を試しているわけだが、どう対応したらよいのだろうか。

正解はない。絵本を優先した場合でも、母親の要求を無視することはいやで、娘は「溺愛」と解釈し、不合格の烙印を押してしまう。娘の欲しいのは真の愛情である。自分の幸せを十分考えた上で、父親から注意してもらったり、愛してもらいたい。娘のこうした試練に父親が応えるために必要なのは、智慧と勇気と愛である。仕事を楽しみ、誇りを持っている人は智慧と勇気をうる事が出来る。しかし学歴があるとか、一流企業に勤めているだけでは智慧と勇気を手に入れることはできない。

次章以下は「娘のサイン」「娘を幸せにする父親・不幸にする父親」「妻との絆」「互いを親から解放できる夫婦」と続き、この序章を肉付けしてゆく感じで書かれている。ただ3章の夫婦とは何か、の議論が面白かった。夫婦は次世代を作るほか「癒し合い」の機能を持っているというのである。哺乳動物の中で弱い立場の動物である人間は、集団を作ることで生き残った。しかし集団生活はストレスを生む。そのストレスを解消するために、夫婦という仕組みを考えた、というのである。従って娘にとって大前提として父と母がうまく行っている事が大切である。

・ 娘が父親をどのくらい信頼しているのか・・・その見分け方を一つご紹介しましょう。・・・何歳までお父さんと一緒に風呂に入りたがったかが一つの重要な目安となります。もし、小学校の高学年となっても「お父さん、一緒にお風呂に入ろう」と、娘の方から言うような間柄なら合格です。娘の心は、性を越えた聖なる愛で一杯だと思って間違いありません。(47p)