楢山節考          深沢 七郎


新潮文庫

楢山節考
信州の山奥にある、この貧しい村では年寄りが70歳になると、裏の楢山にすてることが掟になっている。残酷ではあるが、口減らしのために止むをえない。おりん婆さんはもうずっと前から準備していた。妻に死なれた孝行息子の辰平には、後家になったばかりの嫁をあてがい、山ですごすための茣蓙をきれいに縫い上げた。山にゆく日が近くなって丈夫だった歯も石にぶつけて壊した。
前の晩に、経験者たちを呼んで振舞い酒をした。翌日、辰平は胸のはりさける思いで、おりん婆さんを背板に載せて運んで行く。石段を登ると谷の向こうに楢山が見えた。二里半の谷を越えると道がなくなり、そこからは上へ上へと登っていった。そこここの岩陰に骸骨が見え、沢山の烏が舞っていた。
雪が降ってきた。背板からおろすとおりんは筵の上にすっくと立った。おりんの手は辰平の手を堅く握り締めた。それから辰平の背をどーんと押した。帰り道ずっと手前で、銭屋の倅が背板にしばりつけた又やんを谷に突き落とすところを見た。家に戻ると、息子がおりんの綿入れを着てうずくまり、腹の大きい嫁がおりんがしめていた縞の細帯を使っていた。
死に毅然と向かい合うおりんの姿、心弱い息子の辰吉、死を最期までおそれ生に執着しようとする又やん、捨てようとする非情な息子、仕方がないとあきらめる辰吉の嫁、息子夫婦、それらを核に因習に閉ざされた貧しい村の様子がよく描かれている。
この小説を読もうと思ったのは青木新門の「納棺夫日記」に引用してあったからだ。おりんの死は、これによれば自我を犠牲にした愛で生とつながっている。しかしなかなか人間はこうは覚れないものだ。生への執着は捨てられないものだ。その姿が又やんに見られる。はたして自分は、いつか将来、おりん婆さんの心境になれるだろうか。
生活保護を受けることすら断った老人夫婦が餓死死体で発見されたというニュースがあった。最近世間とのつきあいを避け、自分だけの生活を守ろうとする老人たちが多いという。現代は、おりんばあさんのように飢えから姥捨てを行う時代ではない。しかし自由を求めて各人が独立した生活を求めるようになると、別な意味で捨てられる老人、あるいは自ら進んで捨てられたいと願う老人が増えているようにも思う。姥捨て山は形を変えて現代社会にも存在している。
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以上略
010222