新潮選書
著者は1926年生まれ、言語社会学専攻でその道の権威。紹介に「英語と日本人、日本人の外国観などについて柔軟な文化論を提起する一方、地球環境問題にも積極的に発言」とある。著者との対談をもとに編集部がまとめた作品のようである。
21世紀に世界第二の経済力を持つ日本が、指導的大国としてアピールできる長所を、著者は第一に「異質な者や文化を自分の社会に平気で取り入れ、他の国から見ればあきれるほどの混合社会を作る才能」および「著者の主張する地救原理につながる日本人の深層心理にある「アニミズム的世界観」」の二つを挙げている。
素晴らしいものは海の向こうからやってくる。日本人がこのように考えるわけを、地理学・地政学的な特殊性に求める。日本は6世紀の末から20世紀の半ばまで、いろいろな国とつきあったにもかかわらず、外国から侵略された経験がない。その結果、日本人は自分なりに分かったつもりで、本当はおぞましい存在なのに美化し、理想化してしまっている。「距離と時間のおかげで生まれた蜃気楼効果。」である。南極調査隊員のあつかった犬の話を揚げている。英国の場合、基地閉鎖の折みな殺してしまった。人格評価の仕方もおおきく違う。
「バスト型外国観」を持ち、外国の醜いところがみえない。第2章では特に人種差別について、@その他人種締め出し型・・・オーストラリアの白豪主義 A居住地隔離型・・・アフリカのアパルトヘイト策、強制収容所、ゲイテッドコミュニテイ B上下住み分け型・・・・優れた部分は白人、汚い部分は黒人 C他民族抹殺型・・・ジェノサイドにわけてのべる。さらに欧米人の日本人に対して顕著に見られる違いをリンチ、ボイコット、陪審員制度、神に変わって正義を行うこと、世界制覇の野望の5つの観点からのべいる。欧米人は自分が絶対に正しく、それをもとに他人を裁きたくて仕方がない人物がウジャウジャいる、とする。陪審員制度が普及し、クリステイの「そして誰もいなくなった」のような作品が人気をえ、007シリーズでは世界制覇の野望がつねに見え隠れする。これに対し日本人は常に他人の目を意識する。
さらに著者は日本とユーラシアの違いを「魚介文化」と「家畜文化」の差にもとめる。ユーラシア人は家畜と一体化した生活を作り上げたが、そのためにはボス格リーダーをもつ羊型集団が必要であった。ボスをコントロールし群れの家畜をとことん利用した。獣姦、カニバリズム、ナチスの残虐行為、新大陸発見時における土着民が人か獣かという論争、などにこの考えが顕著に見られる。日本人はこれに対して輪廻転生、生きとし生けるもの的考え方である。最後にキリスト教が日本になじまなかった理由についても同様とする。
日本に比べ、西欧や中国は戦争にあけくれていた。日本が鎖国から列強の圧力により開国させられ、日本が外国と戦うようになったのはこの半世紀に過ぎない。大東亜戦争が侵略戦争というのは戦勝国の決め付けに過ぎない。日本人と外国人のものの見方の比較を事実に基づいて行動する日本の「ファクト文化」と民族が混交し理屈でかんがえなければすまない欧米の「フィクション文化」の差と考える事ができる。捕鯨問題、ユダヤ人の反ユダヤ記事に対する異常な反応などに見られる。日本人はそれに対し、侵略された事がないから「不沈戦艦幻想」を持っているといわれても仕方がない。
著者は日本文明の性格を「部品交換型」とし、それゆえに明治維新や太平洋戦争前後に一見不連続な変化を出来たとする。このパラダイムシフトは過去にも仏教伝来時に経験済みである。部品交換型精神の表れとして、日本語を棄てたがる傾向があるが誤りである。日本語は他の言語が「ラジオ型」であるのに対し「テレビ型」で識字率向上などにもむいており素晴らしいものである。
最後に日本人が自信を回復するためには「まず日本人が自国の姿を正しく知り、戦後失ってしまった自国に対する愛情と誇りを取り戻す事が先決」と主張する。太平洋戦争でも、悪いばかりではなく、長い間欧米の植民地支配の下で苦しんでいた東南アジア諸国を開放したではないか。そして「地救原理」なるものとあわせて日本人の生き残り戦略を提唱している。第一は現代版「鎖国」の薦めである。グローバル社会の一員になる、国民が英語が話せるようになる、ということはせいぜい二流か三流のアメリカ人になるに過ぎないことに鑑み、民族の固有の文化や伝統を発展させてゆくべきである。第二にエリート集団を結成し、対外関係を専門におこなわせるべきであるとしている。
最後の提案は私にはいくらなんでも、と感じられ、素直に受け入れる気にはなれなかった。
「地救原理」なるものも今ひとつ理解が難しい。しかし歴史と日本文明の特殊性を理解した上で日本の進むべき道を考えるべきである、との考えは全く賛成で、その理解を深めるためには好著と思えた。
060530