文春文庫
1939年の夏を迎えるころ、陸軍参謀本部を取り巻いているのは悪化を辿るばかりの戦勢だった。日中戦争は漢口は攻略したが、中国の広大な大地に多くの兵力を吸収され、満州・朝鮮にもそれなりの兵力をおくと動員可能な兵力は皆無になってきている。ソ連は満州国境に兵力を集中し始め、圧力をかけてくる。
さらにナチス・ドイツそしてイタリアの三国軍事同盟をめぐる動きだ。彼らと手を結べば、ソ連を背後から牽制し、中国に集中し、蒋介石を和平に応じさせ、あわせて日本の国際的地位を向上させることも可能だろう。しかしドイツはポーランド併合をねらい、その際可能性のある英仏との戦争に日本を引きこみたいのだ。
しかし中国と泥沼の戦争を継続している日本が英仏と戦う事が出来るのか。しかも英仏との戦いはやがて米国との戦いに進みかねない。陸軍が三国軍事同盟を急げば急ぐほど、海軍が反対した。
昭和7年(1932年)に日本の傀儡国満州国が出来て以来、日本人は国境という意識を嫌でも持つようになった。ところが満州とソ連の国境は曖昧だった。日本はハルハ河を主張し、その東方13キロ当たりを主張した。国境管理には関東軍が当たっている。ここに好戦的な辻参謀が赴任してくる。
5月10日頃ハルハ河付近で外蒙古と満州国軍が小競り合いを起こした。これをこらしめるとして関東軍は東中佐を大将とする捜索隊を投入し、ハルハ河をわたらせた。しかしソ連はコマツ台地に多くの戦車、砲兵、騎兵等を中心に強力な戦闘態勢を取っていた。
結局東軍は壊滅し、中佐は戦死した。
日本はソビエトに抗議するが、そのころスターリンは一度は極東の日本をたたかねばと準備を進め、ジューコフを指揮官に任命。関東軍はこのままでは放置できぬと、参謀本部、天皇等の心配をよそに反撃の準備を始める。
関東軍は独走し、7月に入るやいなや小松原師団長を中心にハルハ河を越えて進軍する。かくしてジューコフ戦車部隊と遭遇、ハルハ河東岸と西岸で戦うことになった。戦車攻撃に戦車と火炎瓶による応戦は悪くはなかったがこちらの被害も大きかった。しかしこのころになると満州全体へのソ連軍の侵入も心配され、参謀本部の方針もあって持久戦に持ち込むこととにし、築城工事にせいをだしはじめた。
八月、スターリンは独ソ不可侵条約が締結され、西側の脅威がなくなるや否やジューコフの総攻撃を命じた。八月二十日までに、日本軍全軍を両翼から包み込むようにほとんど全部隊が渡河を終えていた。空爆に続く、歩兵の前身、火炎瓶対策などを十分に施した機甲部隊の進軍。日本軍はおされにおされ、壊滅の危機に陥っていた。
驚かされるのはまず方針がその都度行き当たりばったりで決められる計画性のなさである。そして大声をだし、すべてのものを考えずに飲み込んでしまう勇気がたたえられる陸軍の風潮。
次に相手に対する研究不足である。いつまでもソ連を日露戦争の頃のソ連と認識し、その兵力や武器を馬鹿にしている。
次に準備の悪さである。大群がハルハ河を渡ろうとするのに橋の準備すら不十分である。
最後に救いのないのがこの戦争の失敗経験が続いて起こった太平洋戦争に全く生かされていなかったことである。
そして最後にこれらの失敗への処分が軽く、反省がなされず、そのまま太平洋戦争へつっこんで行ってしまったことである。
参謀本部、関東軍本部、現場、クレムリンなど場所を変えて記述して行くやり方は、臨場感があり、非常に面白い。混迷をます現代の行き方を考える上でも参考になる一冊と思う。
・ 張鼓峰事件に関連し、天皇「今後は、私の許しなくして一兵たりとも勝手に動かすことはまかりならん。」(136p)
・ 裏返して言えば、なぜあれほどまで陸海軍人や外交官がドイツかぶれしたのかである。(164p)
・ 中央の方針に従えば、すでに数千の将兵が血を流した満州国の領域をあっさり捨てよ、ということになる。それでは英霊に申し訳が立たないではないか。…・関東軍の常に用いた論理(285p)
・ 将校商売、下士官道楽、お国の為は兵隊ばかり(354p)
・ 昭和8年の国際連盟脱退以来、「光栄ある孤立」でいい気になっていた当時の日本が、国際外交の苛烈さに無知蒙昧であったとしても、それは当然のことであったろう。(378p)
・ 陸軍大将阿部信行を承認するにつけ、天皇の条件(1)英米に対しては協調しなくてはならない(2)陸軍大臣は自分が指名する。以下略(3)内務、司法は治安の関係があるから選任に特に注意せよ。
・ 辻参謀の啖呵…「戦争というのは勝ち目があるからやる、ないからやめるというものではない。今や油が絶対だ。油を取り不敗の態勢を布くためには、勝敗を度外視してでも開戦にふみきらねばならぬ」(451p)
020121