中公新書
この本は父親の遺品の中からみつけた。秋山光和と言う人の作品で昭和43年発行というから40年も前のものだ。帯に「著者はこの20数年来、「源氏物語絵巻」などについて、科学的な特殊方法を駆使して詳細な調査研究を行ってきた。名品と謳われる絵巻の成立過程を明らかにするとともに、文学と絵画の交渉、当時の社会的風俗などを再現する。」と言うような事が書いてある。本をめくると2,3箇所ではあるが赤線の引いてあるところがあった。絵描きの父は、絵に使われている顔料などに関心があったのだろうか。
9世紀初頭の日本の絵画はまだ唐風をまねたものであった。
半ばころから宮廷画家たちによって日本の風景を取り扱った屏風絵が現れた。
四季あるいは十二ヶ月の季節の変化を重要視し、各時期の特色ある自然美や行事を主題とした絵を描き、これに目的に応じて歌人や画人を選び歌を読ませ、それを能書家に書かせた。これらの組み合わせ絵画を「やまと絵」と呼び始めた。
このころ国風文学の基礎が作られ、日本の言葉と文字とで物語を作るという考えが生まれた。やがてそれらが絵と結びついて行ったことは当然の成り行きであった。屏風や障子よりさらに人々の心に密着して絵巻や草紙が現れるようになった。そしてこれらは特に宮廷で鑑賞された。源氏物語の「絵合」の一章はこの状況をよく説明している。
しかし11世紀までのこのような世俗的遺品はすで失われており、わずかに宇治平等院の「鳳凰堂扉絵」などが残っているに過ぎない。「源氏物語絵巻」も実は「極めて錯簡の多い順序の狂った巻物」で残っていたに過ぎなかったが、昭和になって徳川本、五島本を中心に15の画面とこれに伴う詞書にようやくまとめられた。絵巻の伝来についても江戸時代以前の状態はほとんど明らかでない。
「柏木」から「御法」にいたる5帖8枚が比較的よくまとまっている。紫の上、源氏、女三宮、柏木と言う関係における悲劇と、夕霧と雲居雁の家庭内の小事件が描かれている。
これらの絵は、まず画家が細い墨の線で下あたりともいうべき概略の線を引く。つぎにやや太いやわらかい墨線で岩組みなどが描かれる。これらは必要があれば何度でも上書きされる。次ぎに彩色、作り絵の段階に入る。ここも必要があればいくたびか行う。顔は、「引目鉤鼻」が特色であるが、その線も一息に書いたものではなく、何度も引き重ねている。細部に見ると、その表情に細やかな変化を読み取る事が出来る。おそらく主任画家と補助画家がグループ作業を行ったのであろう。顔料は多くは、鉱物質の岩絵具で、これに動物質や有機顔料が幾つか加えられた。これらは6世紀から7世紀にかけて大陸から持ち込まれたもので現代でも基本的には変わりがない。
王朝絵画の担い手は職業化された絵師たちであった。その地位は平安時代に入ってかなり高い官位を与えられるようになった。また別に僧侶としての画家絵仏師と呼ばれる人々がいた。さらに平安時代になると絵画は貴族の教養と考えられるようになり、素人が加わった。女性も絵を書くようになり、その感情や感覚を満足させる女絵も出現した。一方で
墨絵を発展させ、線画を優位におき明確な叙事的性格をもつ男絵が発展した。
やまと絵・唐絵が10世紀半ばを過ぎる頃から主題、表現ともに固定化、形式化していった。変わって線画のいきいきとした動きによる男絵が11世紀以降現れるようになった。「伴大納言絵巻」「信貴山縁起絵巻」などがその代表例である。
この書は著者の長年の経験をもとにまとめられており、絵巻物に特段の興味が増すことは間違いない。特に源氏物語について詳しいから、源氏物語、源氏物語絵巻とあわせて読むとよいであろう。
2007年5月7日(月)晴れ