女の一生 一部・キクの場合     遠藤 周作


朝日新聞社

ミツとキクはひとつ違いの従姉妹で、家はそれぞれ長崎に隣接する浦上村馬込郷の農家だった。キクの方がお転婆で、ミツの方は甘ったれだった。キクは木登りに夢中になり落ちそうになって、中野郷の青年に助けられた。しかし兄の市次郎は「中野郷はクロじゃけん、つきあってはいかん。」ときつく言われた。クロの意味が分からなかった。
幕末になって、隠れキリシタンを捜して、フランスからフューレ神父とプチジャン修道士がやってきた。彼らは布教活動をせぬ、と言う条件で浦上に天主堂(南蛮寺)を作って住み着いた。プチジャンは自分たちが来たことを知ってもらおうと凧切り競技に参加、さらにチョウマワリなどして宣伝をする。そしてついに中野郷などに隠れるキリシタンとの接触に成功する。
キクとミツは年頃になって、長崎の五島家に奉公に出た。キクはある時あの青年にであった。海草を売っており、名を清吉と言い、クロつまり切支丹だった。キクは清吉に強く惹かれた。
プチジャンたちを御奉行所が調べだした。彼らは最初は神父や信徒たちに警告するが、彼らが聞き入れぬと分かると主立ったものを一斉に捕縛した。
清吉が心配で、これらの事件を懸命になって追ったキクは五島家から暇を出された。行くあてもなくさまよっていると、プチジャンたちに助けられ、南蛮寺で働く様になった。しかし彼女はキリスト教徒になったわけではなかった。それどころか出所してきた清吉の妙な説明を聞くとむしょうに腹がたった。
やがて明治になった。新政府から九州鎮撫総督が下向してきて「切支丹邪宗門は旧により、これを厳禁す」のおふれをだした。浦上の百姓たちが再び呼ばれ、改宗を迫られるが彼らは受け入れなかった。ごうをにやした総督等は主立った百姓を捕らえて、石見国、長門周防国、備後国などに流した。
清吉たちは津和野に流された。そして改宗するよう激しい折檻を受けた。死者も何人か出た。その噂を聞き、キクはいても立ってもいられない。やがて清吉に送る金をかせぐため花街の山崎屋で働くようになった。ミツはただ一人他国行きを逃げ出した切支丹能蔵と一緒になる。
浦上近在の小役人だった伊藤清左衛門は津和野と長崎を往復するようになった。彼は昔同僚だった本藤舜太郎が語学ができるために新政府に大いに取り立てられていると聞き、我が身の不遇を嘆いている。その伊藤を介してキクは清吉に金を、見舞いの品を送り届けようとする。しかし伊藤は金をチョロ任した上、キクの体にせまる…・・。その上労咳がキクの体をむしばみ始めた。

結局諸外国からの圧力で、宗教の自由が認められるようになり、隠れ切支丹は日の目を見られるようになる。この辺は最後に手際よく書かれている。
伊藤清左衛門という弱い男の書き方が非常にうまいと思った。キクからだまし取った金でやけ酒を飲み、そしてまたキクの体を思い浮かべる…・それはうまくやれなかった男の嫉妬と良心の呵責がない交ぜになった結果である。そして何十年かたった後、津和野で清吉にすべてを告白し、許しを乞う。作者がこの男を結局は許しているように感じられる所にこの悲しい物語の救いがあるように思われた。

・ 悲しいのは基督教がかってはその侵略に協調したことです。そのために当然、日本人は基督教を拒んだ。私たちは彼らの誤解を何としても解かねばなりません。(42p)
・ プチジャン殿。それが迷惑だというのだ。日本をそっとしておいて頂きたい。日本人はな、切支丹などしらのうても、長い長い間充分、果報に生きてまいれた。(216p)
・ もし神がいないのなら、津和野の仙右衛門も清吉も甚三郎たちもあの拷問責苦に耐えた意味はなかったのだ。…・神はいるかも知れぬ、しかしいないかも知れぬのである。そして多くの人は神などは人間の空想や願望の所産だと思っている…・(392p)
・ でも神様はそげん本藤様よりもあなた様のそのひがんだ心、傷ついた心に入り込もうとされます。(394p)
・ いいえ、あなたは少しも汚れていません。なぜならあなたが他の男たちに体を与えたとしても…・それは一人の人のためだったのですもの。その時のあなたの悲しみとつらさとが、すべてをきよらかにしたのです。(403p)
000628
(1981)