女の一生 二部・サチ子の場合     遠藤 周作


朝日新聞社

この物語は、一部の主人公キクの従姉妹で他国行きを逃げ出した切支丹能蔵と一緒になったミツの孫サチ子の物語である。時は昭和5年、軍国主義台頭の目覚しい頃、主人公が、いつも母に連れられて通っている聖母の騎士修道会の大浦天主堂で、ポーランドから来たコルベ神父とゼノ修道士に出会うところから始まる。軍港の写真を撮ったシモノフに悩まされた当局は小野刑事をスパイとして送り込み警戒を強める。
昭和11年の2.26事件の頃、犬に襲われた外人の子ジムを助けて、サチ子はウオーカー家に呼ばれる。その時一緒だった、いたずら小僧の修平と空き家探検等を通して親しくなっていった。子供心に「お嫁さんになってもいい。」と思った。
時局は変わっていった。コルベ神父も、ウオーカー一家も日本を離れていった。昭和17年修平は慶応大学経済学部に合格した。彼は帰国したおりあの空き家で密かに自作の詩をサチ子に聞かせた。夏休みには天草の乱で切支丹が全滅した原城に、友人の武田三枝子の招きで一泊旅行をした。
しかしポーランドに戻ったコルベ神父は悲惨だった。アウシュビッツに収容され、地獄の生活が始まった。拷問、脱走、処刑…・。最後に神父は(愛が無い世界ならば、愛を作らねば)と妻子ある男の身代わりになって殺されて行く。
修平には、サチ子は親しい幼友達ではあったが、なかなか恋人としての概念は沸かなかった。だから手紙に新しいガールフレンドの話、親しい大橋とその女友達の話などを書いてやきもきさせた。学生の徴兵延期廃止の噂が流れ、修平はキリスト教会の戦争に対する煮え切らない態度にいらいらする。サチ子も工場で働かされる様になる。縁談話が持ち込まれるがあきらめきれず、すべてを拒む。
ついに徴兵延期廃止。第一乙種に合格した修平はやがて出水等で修練を経た後、特攻隊員への道を進んで行く。サチ子との恋も一時燃えるが実る時はない。そして修平の死。長崎への原爆投下。奇しくも原爆を落とした飛行機主はあのジムだった。
軍国主義と太平洋戦争と言うキリスト教受難の時代を背景に生きた男女の物語と言うことが出来ようか。所々に作者流のキリスト教に対する疑問、人間の有るべき姿、などが提示され、読む人の心を打つ。

・人、その友のために死す。これより大いなる愛はなし。
・「人間ば信じる」「はい、人間ば信じらんば、人間のために尽くすことはできんて…・。」(49p)
・ 馴れだよ。君、それは適応性なんだ。その男も他の囚人と同様この収容所でもう何事にも無感動になっているんだ。たとえ自分の妻の死体がガス室に転がっているのを見たとしても、驚かなくなっていつんだ。(195p)
・ あの男は死ぬかも知れぬ。君のパンをやってくれないか。(227p)
・ 「殺すなかれ」という教えを長いあいだ信徒に唱えさせていた日本の教会そのものが、いざ戦争になると、全て目をつぶり、素知らぬ顔をしているような気がしてならなかったのである。(238p)
・ 私たちにほんのキリスト教信者が、もし一人一人、人を殺すのは神の教えに背くという勇気があるならば…・しかし、私にはその勇気がありません。(279p)
・ 人間の一つ一つの顔は過去の長か表情の集積て、誰かが書い取ったばってん、この町にも悲しかったこと、うれしかったこと、さまざまの表情が集まって顔ばつくっとるやろね。(297p)
・ 国家と国…・国とはね。自分の人生とこの戦争とをどう結び付けていいのか分からない沢山の人々の集まりだと思っている。(311p)
・ なあ、みんな、辛いんだよ。皆、どうしていいのかわからないんだよ。苦しんでいるのは君たちだけでなく、みんな同じ苦しみの共同体にいるんだ。…・だからその人たちのために戦争に言ってくれたまえ。(311p)
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