恩讐の彼方に・忠直卿行状記   菊池 寛

岩波文庫

菊池寛の時代小説は何かしらひとつのテーマを感じさせることが特色である。それぞれにまとまっており、興味深い。

三浦右衛門の最後

高天神の城に逃げ込んだ三浦右衛門はとにかく命が惜しかった。しかし主君今川氏元を見捨てた事が発覚し、斬られることになったとき城主天野刑部はいう。「唯は助けられぬ。命の代わりに腕一本所望じゃ。」武士の本質と冷たさを描く作品。

忠直卿行状記

越前少将忠直卿は21ばかり、大阪夏の陣で戦果をあげ、家康からほめられた。領地に帰ってからは武術の試合に余念がなかったが、あるとき昼間に打ち負かした若い武将の「勝ちをお譲りいたすのに、骨がおれなくなったわ。」の一言を聞き、驚く。彼らとは翌日真剣で勝負するが、それでも彼らは勝ちを主君に譲り切腹してしまう。みな真剣につきあってくれない、と感じた彼は絶望し、次第に凶暴になってゆく。やがて人心が離れる。ついに幕府の認めるところとなり、彼は九州に改易させられてしまったのだが・・・・。

恩讐の彼方に

主人中川三郎兵衛の妾と情を通じ、主人を殺して出奔した市九郎は、途中で心を入れ替え、女と別れて美濃の国で出家した。その後行脚を続け、豊前の国近くにある山国川の渓谷にいたった。そこは難所で毎年十人も十五人もの人が川にはまってなくなるという。ここに隋道を作ろうと決心し、寄進を求めるが誰も相手にしてくれない。そこで彼は一人で始めた。最初は狂人扱いだった村の人も、5年、10年経つにしたがって協力するようになった。そして19年、完成間近ト言うときに中川の息子實之助が敵討ちにやってきた。

藤十郎の恋

元禄の都の人たちの心を狂わせていたのは、四条中島都萬太夫座の坂田藤十郎と山下半左衛門座の中村七三郎だった。しかし藤十郎は客が自分の芸にあき始めていることを充分承知していた。七三郎に対抗して彼は近松門左衛門に頼み、「大経師昔暦」なる命がけの恋の狂言を演じることにした。しかし従来の他愛もない恋と違って命を賭しての色事、今一歩どのように演じるか彼は悩んだ。そうした折、楽屋で昔馴染みのお梶にであった。

火のような猩々緋の服折を着て、唐冠纓金の兜をかぶった槍の中村新兵衛は向かうところ敵なしだった。ところがある合戦でその衣装を借りたいというものが現れた。

名君

重大将軍家茂は習字の練習をせず、厳しくしつけようとする戸川播磨守に水入れの水をぶっかけて逃げる。「あまりの悪戯!」と非難する側近に、戸川は「失念して尿を漏らした・・・。」と弁解し主君をかばった。しかし戸川の弁解の真意をわかるものもいた。

蘭学事始

杉田玄白が前沢良沢と蘭学事始をオランダ語から始めて訳したときの苦労話。

入れ札

国定忠治一家は信州に逃れるに当たり、追っ手の目を逃れるためにちりじりになることになった。忠次に同行すること3人を入れ札できめることにした。どうしても一緒にゆきたい九郎助は迷った末、自分の名前を書くが・・・・。

俊寛

鹿ケ谷に集まり、全盛を誇った平家に謀反をたくらんだとして康頼、成経、俊寛の三人は薩摩の沖はるかな鬼界ヶ島に流される。1年後康頼、成経の二人が許されて都に帰る。俊寛は赦免状に自分の名がないことを嘆き悲しみ、頼み込んだり、使者に抗議したりするが致し方ない。この辺までは歌舞伎や芝居でよく取り上げられる。

俊寛は、しばらくは虚脱状態になるほど悲しむが、やがて都の生活を忘れここで住もうと決心する。木を切り出して新しい家を作り、わずかに残った衣類と交換に麦の種を得て畑にまき、弓を作って狩猟をし、木のつると骨で作った針で魚を釣るようになる。やがて村の娘の一人と入魂になり、結婚する。子供が次々と生まれ、俊寛自身も見違えるほどたくましくなる。

やがて平家が滅び、もう都に帰れることになり、昔俊寛のもとで働いていた有王が尋ねてくる。しかし俊寛は帰京を断り「今はただひたぶるに、俊寛を死んだものと、世の人に思わすようにしてくれ」と頼む。

頸縊り上人

寂真法師は今年65、生きながらえれば悲しい思いをするばかりだと考え、37日の間無言して、結願の日に、首をくくって、往生すると宣言した。やがて噂を聞いた人々がありがたい法師の最後を見んと続々と押し寄せた。しかし日が近づくにつれて法師は死ぬことが怖くなった。

021205