拉致はなぜ防げなかったのか   川邉克朗

ちくま新書

ノムヒョン大統領の北朝鮮訪問、南北融和を日本のメデイアは冷ややかなムードで伝えているように見えた。どうせ間もなく首になる大統領の選挙向けパフォーマンスではないか。しかし南北融和、朝鮮半島の統一が現実的な可能性になってきたことは事実だ。とすればその事が日本にどういう影響を与えると予想されるのか、どうすればいいのか、もうそろそろ真剣に考えなければいけないのではないか。
政府は13日で期限切れになる北朝鮮への日本独自の経済制裁を半年延長することを決めた。貨客船「万景峰号」を含む全ての北朝鮮船舶の入港と輸入の禁止などである。六カ国協議で核施設の無能力化などについて一定の評価をしているものの、拉致問題で進展が見られないからである。
金総書記が記者会見で「拉致日本人はこれ以上いない」と語ったとされる情報がある。日本政府は「そういうことを言ったかどうか知らない」とした上で「(北朝鮮は)日朝の会談ではっきり主張すべきだ」としている。しかしこの話はついに北朝鮮が真実を話し、日本側がやはりと感じたのではないか、という気持ちを起こさせる。

同書を読む。著者は1954年生まれ、TBSを経てフリーのジャーナリストとなった人である。
「「5人生存。有本恵子さんを含む8人死亡、不明一人」・・・・2002年9月に北朝鮮から初めて明かされた日本人拉致被害者についての安否情報は、警察関係者にとって最悪の情報だった。拉致問題を担当していた公安警察は、事件性に気づきながらもなぜ被害者救済に消極的だったのか。警察に限らず、日本政府当局の<インテリジェンス=情報>軽視は、米国9/11テロ後の今日まで、重大な問題を投げかけている。よど号問題、金大中拉致事件、大韓航空機爆破事件などの背後にあった、日本と朝鮮半島を結ぶ複雑に絡み合った糸を解きほぐしつつ、テロ時代の安全保障を再検討する」と見開き。
第1章から第5章までは小泉訪朝までの北朝鮮、日本、韓国、中国などの裏社会での確執を時系列的に描いている。冷戦終結後、イデオロギーの崩壊と技術革新による情報革命が連動し、「人、モノ、資本、情報」が自由に移動するようになり、国際テロ、国際犯罪組織、麻薬密輸、大量破壊兵器の拡散などが起こった。その中で日本はハード面重視でなくむしろソフト面ともいうべ機情報収集・分析能力に力点を置くべきであったとしている。

さて、本題。「2002年9月17日、平城で開かれた日朝首脳会談の席上、金正日総書記は始めて日本人拉致を認め謝罪したが、北朝鮮の方針転換は完全に裏目に出た。日本世論を硬化させただけでなく、在日同法社会が受けた動揺は北朝鮮の予想をはるかにこえるものであった。」と著者は談じている。
北朝鮮問題に関するタブーは長らく不思議なベールに包まれていた。ところがこれを契機に、タブーが破られ、堰を切ったように水が流れ出した。そしてこれに遡行する言説は攻撃の対象となった。
日朝国交正常化交渉が決裂する一方、ロシアプーチン大統領は金正日大統領を持ち上げて、心を一気に捉えた。また韓国ではノムヒョン大統領が当選し、「アメリカにぺこぺこする必要はない」などとして物議をかもす一方、南北融和に努める。北朝鮮はその後NPT脱退、ミサイル発射などで米国と対立、2003年4月中国の仲介で「六カ国協議」が開催されることになる。ロシアは北朝鮮の後見人的役割を果たし、米国の「傀儡」に過ぎない日本との差を見せ付けた。

戦争にしろ外交にしろ、インテリジェンスにしろ、本来の国家間のありようの差異に過ぎないが、その営みはいずれも「平和のための努力」であるはずだ。日本はそんな中で日米安保条約と平和憲法と言う「戦後的なるモノ」から脱却できず、「冷戦後」もあらたな日本の「国益」を想像することもなく米国追随主義で米国の国益の従属的なものへ貶めたままである・・・・このあたりが著者の結論であろうか。
その論は理解できなくもないけれど、個人的には、拉致問題を置き去りにする、米国追従をやめ、国連中心主義に転換する、平和憲法の理念から脱却する、となるとどのように日本の国策の整合性をとるのか中々難しいように感じた。

071022