レパントの海戦   塩野 七生

新潮文庫

16世紀末、ヴェネツイアの東の貿易基地はキプロスであった。しかしすでにロードス島を陥落させるなど次第にその勢力を拡張してきたオスマントルコは、公然とこの島の領有を要求した。ヴェネツイアは断り、和平の道を探る一方、法王ピオ5世にすがり、その十字軍精神をあおり、スペインとイタリア諸都市国家をひきいれることに成功した。

しかし法王は、反動宗教改革の申し子で、メリースチュアートを捕らえたイギリスのエリザベス女王を公然と非難し、フランスの新旧両派の権力抗争ではカトリーヌ・ド・メデイシスの肩をもった。ドイツやオランダのプロテスタント派君主からも嫌われ、これらからも援軍を得られなかった。しかもスペインは、連合軍にブレーキをかけるか、あるいは北アフリカの失地回復に向かわせることを主張する、など必ずしも内部の意見が統一されず問題が多かった。

しかしどうにか西欧連合艦隊は、ガレー船を主力に210隻、戦闘員28000人を含む80000人余りの堂々たるものになった。本体をスペイン王フェリペ2世の甥、ドン・ホアンが、左翼はヴェネツイア海軍をバルバリーノが、右翼はスペイン海軍傭兵隊長ドーリアが率いる。これに後陣、「浮かぶ砲台」と呼ばれる大砲発射を任とするガレアッツア6隻などである。メッシーナを出航し、イタリア半島をまわりイオニア海を縦断してレパント沖に達した。
パトラス湾をでてきたトルコ軍無敵艦隊はイエニチェリ、およびトルコに懐柔された海賊をひきいるアリ・パシャを中心に構成され、同等近くの軍事力であった。
戦いは5時間に及んだが、左翼と中央部で連合軍が圧倒し、その結果、奮闘していた右翼のウルグ・アリを中心とするトルコ軍もくずれてしまった。初めて、キリスト教艦隊がイスラム艦隊に勝利し、コンスタンチノープル陥落以来、トルコが抱き続けた地中海世界制覇の野望を打ち砕いたのである。

ヴェニスを中心とする西欧世界に与えた喜びははかりしれない。
しかし、西欧連合軍はこの機会を十分に生かしきれたとはいえない。あまつさえ、この戦いを契機に、海洋国家ヴェネツイアにも、歴史の主要舞台であった地中海にも、落日の陽がさし始めるのである。
翌年連合軍がまとまらないことに業を煮やし、ヴェネツイアはトルコと秘密裏に交渉し、航海の安全と引き換えにキプロス放棄などを約束してしまう。257pの著者の言葉が印象的・・・・「国家の安定と永続は、軍事力によるばかりではない。他国が我々をどう思っているかの評価と、他国に対する毅然とした態度によることが多いものである。」とし、ヴェネツイアはトルコに対し、礼を尽くすという以上に卑屈であったことがトルコを増長させた、としている。

作者はこの戦争で命をおとしたバルバリーゴの恋物語をいれ、話しに起伏をもたせているが、この辺はコンスタンテイノープルの陥落などでは見られず悪くない。
またこの書はヴェネツイアの歴史をあつかった「海の都の物語」と呼ぶべき筋合いのものらしい。そちらも機会があったら読んでみたい。

最後にこの事件は、私は、学校で教えられた記憶はなく、リヨンに旅して、ある修道院の壁画に描かれた絵をみて、初めて知ったように覚えている。法王ピオ5世らしき男が居並ぶ艦隊にエールを送っている。考えれば海戦はトルコに悩まされ続けた西欧世界にとっての大事件だったにすぎず、歴史上は大きな影響を与えた事件とはいえないのかもしれない。著者がこの作品を書くために海戦のトルコ側の資料を探したが、見つからなかった、とどこかでエッセイに書いていたのを覚えている。それゆえに日本人にはあまりなじみのない話なのかもしれない。

(r091016)