利休・・・破調の悲劇

杉本 苑子    講談社文庫

利休の賜死事件の真相をさぐった一遍。直接の原因を大徳寺山門事件に求める点はすでに出ている文献どおりだが、根本原因をうまくまとめている。作者の見方は

「侵略戦争をもくろんで堺から博多に乗り換えた秀吉の冷酷な覇者気質、それに取り入り、利権獲得のために影で猛運動を展開した博多商人らの、野望と打算、官僚機構を基本にすえた管理体制を大名支配の理想と考え、利休をその疎外者とみなした石田三成ら 集権派臣僚グループの意図・・・・この三者が合体複合し一人の利休を共通のターゲットとねらったのが、賜死事件の真相だったともいえてくる。(88p)」

秀吉の冷酷な覇者気質は、戦国時代、行為で殺人が経済行為であったとする認識に立つものでなるほどと思わせる。朝鮮出兵に関連付け、博多商人の暗躍を主張するところもうなづける。

・ 明や朝鮮と交易するなら・・・・博多や赤間ケ関,門司などが使われ、中心となって働いたのも北九州の商人たちだった。しかし将軍、管領、寺社といった京幾に本拠をヲク有力者が荷主になる交易では、京都に近い堺港を利用する方が便利である。(13p)

・ 利休の血は、少庵には一滴も混入していないのだから・・・・(28p)

・ 栄光と挫折のドラマは、彼の一生の七分の一に過ぎない六十台の最晩年、十年間に凝縮されている。(30p)

・ そんな武将同士が、一畳半などという密室に膝すれすれに対座するのだ・・・(54p)

・ 当時の人々には相容れない者同士が対立しあうほど、厳密な美意識・・・自我の確立が、芸術の分野でなされていたのか?(55p)

・ この時代の人々にとって人殺しは、上は天下取りの野望から下は小袖の新調にまで結びつく切実な経済行為であり・・・・(61p)

・ 戦国の茶は「奇妙な、ふしぎなもの」(64p)

・ 乱世の茶の湯を、明日を予測しがたい極限状態の下で、目を血走らせながら生きた男たちの、地味度炉仕事の延長線上に置けば『一期一会』の緊張を一つ時の風雅に溶かそうとした心情も、察せられなくはない。(67p)

・ 三成ら豊臣氏の臣僚グループに言わせると、合議制のルールを無視した密室政治・側近政治は許しがたかった。(73p)

・ 秀吉の(朝鮮)出兵計画に火をつけたのは鳥井宗室・神谷宗湛ら博多の豪商たちであった。(85p)

このほかに本書には「老い木の花・・・海松友北について」「家康と茶屋四郎次郎」「「綺麗さび」への道」が収められている。

「老い木の花・・・海松友北について」では次ぎの記述が印象に残った。

絵画・工芸・書・文芸など、どの分野にしろ作家が判明している場合、作品と作り手とを私は切り離して考える事ができない。作品は作家の性情・人格の所産であり、作家の人間形成には彼や彼女の生まれ育ち,家系・家庭環境などが大きく影響する(95p)

「家康と茶屋四郎次郎」で本能寺の変を家康が知り、鹿伏兎(かぶと)越えのさい、茶屋四郎次郎が手引きしたという話は面白かった。「「綺麗さび」への道」は小堀遠州の話。