ロシアから来たエース      ナターシャ・スタルヒン


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ヴィクトル・スタルヒンは1916年4月、ウラル山脈東部斜面に位置する人口三万足らずの小さな山村で生れた。父親はロマノフ王朝の将校として一家に君臨し、日々の生活は貴族的な雰囲気に包まれていた。翌年ロマノフ王朝が倒れ、共産主義政権が樹立された。一家は革命軍に追われ、ウラルから広大なシベリアを横断するという果てしない旅にでなければならなくなった。ようやくイルクーツクから脱出し、ハルピンに到着したとき、ヴィクトルは五歳になっていた。革命により世界各地に逃れた白系ロシア人は、ソ連年鑑によれば150万人、満鉄資料によれば250万人に登る。
4年後一家はハルピン生活にピリオドを打ち、日本への脱出を決意する。ナンセン・パスしか持たぬ一家は日本入国に苦労するがようやく旭川に居を構える。ラシャの行商、レストラン開業などと職を変えながら一家は次第に安定した生活を営むようになる。ヴィクトルは無国籍であるがゆえに日本人にからかわれたりしながら、次第に学業、スポーツで頭角をあらわした。日章小学校、甲陽中学、旭川中学、いづれでも野球部エースとして活躍した。
昭和9年、頭山満をも巻き込み学校側の反対を押し切った強引な勧誘劇で、スタルヒンは日米野球に出場、大日本東京野球倶楽部のちの巨人軍に入団した。このとき特高を使って「一家を国外に追放してやる!」と脅した手口は驚きである。しかし結果は成功でアメリカ遠征に参加したほか、昭和15年までに141勝、1年平均35勝という大活躍であった。
スタルヒンは日本人になりたかった。しかし時代の波はそれを許さなかった。次第に戦争の影が近づく。同僚の日本人選手は次々に兵隊に取られていった。昭和13年ニコライ堂で知り合ったレナと結婚、新婚生活に入った。さらに満州遠征。やがて彼の周りを特高の影がちらつき始める。肋膜炎で倒れる。野球生活はもう続けられない、とまで医者に言われた。そして失意の昭和20年、巨人からも追い出された。
敵性外人として軽井沢に抑留された。終戦による解放。東京に出て偶然進駐軍の通訳兼案内として採用された。一方で戦後すぐプロ野球復活の動きが進んでいた。藤本の誘いでパシフィック太平でプロとして返り咲く。しかし長くはいなかった。以後太陽、金星、大映、高橋、トンボと渡り歩き、流浪のエースはついにトンボで通算300勝を達成した。その間に米国から来たシールズとの対戦、家庭的にはレナとの離婚、高橋久仁恵との結婚、著者ナターシャの出生、などがあった。昭和30年、39歳で引退、野球一筋の人生が終わった。後は幸福な余生が待っているはずだったが、2年後思わぬ事故が起こった!
1917年頃、ソビエトに社会主義政権が誕生して多くの白系ロシア人が無国籍となって世界に放り出された。国を失うと言うこと、それがどんな意味を持つのか、それを何となく肌で感じたくてこの本を読むことにした。スタルヒンというのは素晴らしい男だった、それが読み終わった印象。作者とスタルヒンの関わり合いについてももう少し書いてほしかった。
010205