講談社文庫
父親が癌で入院し、私の通いの介護では役立たず、泊まり込みで看病に当たっていた母も過労でダウンしてしまった。母には長女の私を筆頭に五人の子供がいたが見舞いにくるのがせいぜい。そんな状況の時に斑鳩の里の姑が脳出血で倒れたとの報。夫の頼みで駆けつけると舅は惚けたように見守るだけ。夫には二人の妹がいるのにでてくることもない。私は救急車を呼び、精一杯の対応。しかしその姑が亡くなってしまった。親戚どもや町内会のオバサンたちのしゃしゃりでるやりきれない葬儀の後の日々。それから始まる父母と舅の看護の日々、東京に住んでいたから新幹線の往復が多くなった。
旧家の舅は人が良くオトノサマだった。親戚どもはその財産を食い荒らしまくっていたらしい。ごたごたが終わった後、私は夫に離婚を申し出た。子供達を引き取って私は東京にひっこむ。ところが舅が転がり込んできて住み着いてしまった。親戚筋が出てきて遺産を取ろうというのか等云ってみるが、舅は動かない。親は老いる。老いれば元気もなくなるし死にもする。嫁として娘として女の肩にのしかかる。その上、娘や息子も一筋縄では行かぬ。家を出たり、適当な居候を引きづりこんでみたり。
この書はそういう作者の実体験としての苦労をちょっと物語的に語ったものである。そして女は結婚をすると親が4人になる、なぜ男は親が4人にならないんだろう、と疑問を投げかける。若い頃ウーマンリブ(フェミニズム)との出会いがあったかららしい。リブで人権意識に目覚めた作者は、「女らしさ」で萎縮していた自分に気付き、管理教育で苦しむ子供の解放のために学校と戦う中で、自分を取り戻し自己肯定にたどり着く。自分の気持ちに正直になれたことで知性も感性もとぎすまされ、その視点でながめると結婚は女にとってドレイ制度以外の何者でもないことに気がつく。
二つのことを感じた。第一は女は大変だなあ、と云うこと、最近では女権が伸張してきたが、男もそれにあわせて考えを変えなければいけない、と云うこと、そして60を越え一人暮らしの私にはこれからやっていけるかなという疑問。自活できなければいけない、ここは何とかなりそうだ。しかし自分が倒れた時、同時に私のパートナーが倒れたとき、この作者のような面倒見の良さを娘や息子の嫁には期待できそうにない。どちらも自分自身がどこまでできるか自信がない。
第二は、著者の余りにも個人主義的、被害者的なものの見方に対する疑問だ。たとえば教育、この論で行けば家庭には子供をしつける余裕はない、自由にやらせておけばよい、子供が悪くなったら学校のせいだ、くらいの主張がかいま見え、それでいいのかとの疑問が湧く。結婚は女にとってドレイ制度以外の何者でもない、と断じるなら結婚などするな、と言いたくなる。だから女も自立する必要がある、専業主婦で夫に養ってもらいながら云いたいことだけを云うのはやめるべきだ、ただそれを実現するために介護施設や子供を預かる施設を充実させるべきだ、という議論なら分かる。
しかし全体非常に参考になる書物で人にも勧めたいと感じた。
・ もって生まれた条件もあるだろうが、彼の若さや色っぽさの多くは、実に厳しい精進のたまものだったのである…・身繕いに香水に気配りする愛人には、おしゃれ心では片づかぬ老醜との戦いと云うべきものがあった。(118p)
・ 偉大さとは、したたかさ、ずるさ、無責任さも内包するけれど、少なくとも彼は孤独の痛みを他に預けることなく一身に請け負い続けたのだ。(178p)
010723