昭和56年「ミセス」に発表した「歴史の散歩」を修正加筆したもの。
これは歴史小説か、パロデイか判断に迷った。史実はかなり忠実に踏まえているが、時としてとんでもない仮説を引っ張り出してくる。気楽にこんなことも想像できるくらいの軽い気持ちで読んだらいいだろう。最後の饗宴・地獄篇などはまさにそれ。
「貞女の言い分」ではオデユッセイスのトロイからの帰還中の冒険談をすべてオデユッセイスの実は浮気を糊塗するための冒険談、二十年も待たされた私の気持ちはどうなのか、と言う立場で書かれている。
「サロメの乳母の話」に由れば、サロメはなかなか孝行娘であった。父ヘロデ王が、ヨハネの教えに世間がなびき、殺さざるを得ない立場にあることを知っていた。そこで踊りの褒美にヨハネの首を要求した。
「ダンテの妻の嘆き」によれば、ダンテは、頭はよかったが「あまりにも世渡りが下手で、下手もこれほど徹底してくると、愛嬌さえ感じられるから不思議」な人間だったという。
「ユダの母親」はユダに「どんな社会でもいいけれど、そこで落ちこぼれにだけはなってくれるな。」と説いたそうだ。ユダはキリストの弟子の中では出自もできもよかった。しかし実際にはいやしいペテロやパウロやヨハネが引き立てられた。
「カリグラ帝の馬」はカリグラ帝の狂気を彼の乗った馬を通して描いている。晩年には、わざとグロテスクな印象を与えようと奮闘していたことも・・・・。
「大王の奴隷の話」はアレクサンドロス大王のそば近くに仕えた奴隷が書いた回顧談と言う形を取っている。ほぼ歴史的事実に沿っている。
「師から見たブルータス」はギリシャ文化を美しいもの、優れた者と見る理想肌の男であった。対するシーザーは非常に能力の高い実務第一主義の男だった。それはまさに台頭するローマ文化を象徴するような存在であった。対決は必然であった。
「キリストの弟」がいたことになっている。しかしこの一点をのぞけば、聖書等の伝える、神話をありのままの真実、として語らせている。
「ネロ皇帝の双子の兄」ではネロに双子の兄がいたことになっている。ネロ皇帝は実は木の小さい音楽好きの男だった、しかしその皇帝に代わってローマの放火もキリスト教徒の虐殺も行った。
「饗宴・地獄篇」はクレオパトラ、トロイのヘレン、マリーアントワネット等個性の強い女性たちがある日地獄に集まって、おしゃべりをすると言う趣向。第二夜ではそこに日本人を呼ぼうと言うことになるのだが適当な人物がいるか。淀君だって世界的スケールから見れば失格。しかし一人だけ呼ばれるにふさわしい合格者がいる!
(2007年2月2日(金)晴れ)