中公新書
著述の対象は、主として雲仙山、高崎山などの人口餌場に集まってきたニホンザルである。これに、津軽半島など自然環境の中で生きなければいけないサルの観察が加わる。
人口餌場のサルの群れをみると、中心に大きな雄がどっかと座り、雌や小さな子どもたちがそれを取りまいている。さらに外回りにこどもや若者、6,7歳に達した若いおとな雄たちが、一部の雌たちとともにいる。それに外部から雄のヒトリザルが時折近づく。
しかし観察をつづけると、周辺部の若者雄が中心部リーダーに昇進するのはまれで、誰も彼もがいつとはなしに群れを飛び出してしまう。実は飛び出してゆくのは、周辺部の雄ばかりでなく、中心部の雄も飛び出るときがある。
中心の雄は、外からやってきた流れ者らしい。
雌は、群れの中で母とその子どもたちで血縁にもとづく核を作っている。母と娘の順位には末子優位の法則があり、母親が最上位で、次に末娘が来る。
雌は、いざ受精したら一つの子どもの生産に大変なエネルギーを必要とする。雌の生活様式を制約するものは食物資源であり、食物が見つけやすく、安全な場所に住み着こうとする。この結果たいていの雌は、一生生まれた群れの中で過ごすらしい。
一方雄は、もちろん食べて行くことは必要だが、ここは子どものことまで考えず自分のことだけでよろしい。それ以上に雌を確保しなければ子どもを残せない。雄の生活様式を律する主要資源は雌ということになる。しかしそれなら一つの群れに残って、交尾期に雌獲得の優先権を主張する方が得か、あるいはふだんは自由な行動をしていて、その期が近づいたら雌の沢山いる群れに近づいてゆく方が得かの問題になる。その結果がどうやら雄の放浪癖につながるらしい。
雌にとって、配偶相手の雄はそこそこはいたほうがいい。ガードマンとしての機能も欲しい。しかし新しい雄は領域の食物資源を減らすことにもなるし、既存の雄にとっては雌資源をわけてやらなければならないことになる。しかし何家族も集まった大きな群れでは、雌の数よりはずっと少ないが、目的達成のため、結果として複数の雄が受け入れられるようになる。一夫一妻には必ずしも守られず、自然に一夫三妻、一夫四妻などのハーレムが出来上がってしまう。
全体の中で劣位のサルは優位のザルに比べて投与した餌にありつける率が低い。従って自然餌に頼ったり、少ないままで我慢する。すると出産成長率などに影響が出て、実に不利である。劣位のサルが群れの中に留まっているのは、集団から離れた場合の利害得失によっている。だから投与する餌を変化させると離合集散がおこる。
群れの分裂は、簡単に言えば必要資源をじゅうぶんにえられない一部のサルたちが資源の確保を目指して新しい行動に出るということである。人口餌場で給餌量が減った場合や、開発などにより環境条件が厳しくなり、動き回る範囲が大きくなりすぎた場合などで群れが分裂してゆくケースが多い。
著者は最後に次のように述べる。
「動物を絶滅させるには、いちいち捕まえて殺すよりも生活環境を破壊することの方が完璧でかつ容易な方法、サルの場合は広葉樹林をきりはらうだけで十分。1983年以降ニホンザルは確実に減少の坂道を転がっている、耕作地にでてこなければ生きられないところにまで追い込まれている、猿害ザルを捕りつくしてホット一息ついたとき、野外の、ニホンザルは餌付けされた野猿公園にしか残っていない、ということになりそうな気がしてならぬ。」
なるほど、と思いながら私は、冒頭の猿と人間の違いよりも、あれもそうだ、これもそうだと社会性の類似点に思いをはせた。そういえばこの本は副題に霊長類社会のダイナミクスとあり、人間の社会も似ている、といいたげに見える。