学研M文庫
著者は1925年富山生まれで、佐々成政研究家として知られる。
佐々成政、これほど事実に反して悪者に仕立てられた人物は少ない。後任者前田氏が成政の治世を慕う民衆の姿に、治国政策に苦慮したあげく、成政の非をことあげし、史料を曲げたのである。また秀吉の政策を正当化するために。曲解されたところもある。
著者は周辺史料、語り継がれた話などをもとに成政の真の姿を捉えようとした。彼は心を砕いて民衆のために尽くした民生家であることがわかった。
この書はその研究のうち話題性に富むものにテーマを絞って記述している。読み終えて見えなかった歴史の一断面が見えてきたような気がした。
1佐々成政の越中入国
天正10年、織田軍の柴田勝家、佐々成政等は武田勝頼の同盟者、上杉景勝を足止めさせるため富山城をぬいたあと、魚津城を攻めた。篭城3ヵ月半で落城するのだがその直後本能寺の変が知らされる。勝家等は衆議の末、京に向かうが途中で秀吉が光秀をすでに討ち取ったことを知る。
2末森の戦い
織田信雄、徳川家康と組んで秀吉に反抗しようとした成政だが、前田方にもれ、成政は前田の主城尾山城近くの末森城を攻撃する。しかし成政側は支隊の到着が遅れた上、尾山城からの主力が海岸沿いを通って駆けつけることをみぬけず、城を奪えなかった。
3真冬の北アルプス越え
一度は秀吉を和議を結んだ家康を説得し、ふたたび立たせようと成正は真冬のアルプスを越えて浜松の家康を訪ねる。このコースを実際に歩きながら検証する。
4早百合のぶらり火
さらさら越えから帰国した成政は、奥女中共から寵愛している早百合が密通したと聞き、一族もろとも切り捨てたと伝えられている。その真実性を問う。
5佐々堤
成政が治国に腐心した例として常願寺川の氾濫をとめるべく作った佐々堤を取り上げる。
6肥後転封
秀吉の九州攻めに参加した成政は肥後に転封される。しかし国人の反乱をおさめることに」失敗し、結局は兵庫の寺で自刃させられる。その経緯、理由等を探る。
7埋蔵金伝説
越中には多くの金山があった。そのため成政はどこかに黄金を埋蔵した、という伝説が残っている。それを起源にした祭りを紹介し、黄金探しにロマンをはせる。