千利休とその妻たち  三浦綾子

利休の最初の妻をお稲といったが、三好長慶の娘でそれを誇りとしていた。4人の子をなした。しかし松永久秀に長慶が滅ぼされ、気鬱になり若死にしている。男の子は与の助後の紹安。そのあと能師宮王三郎の後家おりきと、一緒になる。男の子が一人、吉兵衛後の少庵。千利休切腹後、この少庵が会津の蒲生氏郷のもとに逃れ、のちに千家を再興した。千利休の出生、女たちとの関係についてはそれなりに興味深い。

千利休がなぜ切腹させられたかについては、茶器の鑑定でケチをつけられた前田玄以、反感をもつ木下裕桂が石田三成をたきつけて陥れた、とする考えは桑田忠親の「千利休」等にしたがっている。直接の罪状については

1)大徳寺山門に利休の木像を飾った

2)偽りの鑑定等で不当な利益をえた。

3)娘のおぎんを差し出さなかった。(今東光「お吟さま」)

4)朝鮮出兵に異をとなえた。(野上弥生子「秀吉と利休」

など、すべてが挙げられている。しかし他に

1)秀吉のいやがる黒茶碗を使い続け、権力を誇示した。

2)おりきがクリスチャンで、キリスト教の影響を受けている可能性がある

などの見方はユニークである。

能の所作を見て、それがお茶に応用できると考え、取り入れた、濃茶のまわしのみが、キリスト教の聖餐式で飲むぶどう酒の飲み方から来た、茶道がキリスト教の影響を受けた、などの考え方も目新しく思えた。

ところで書評的なものはつい追従になりがちである。それはそうだ。書評を書く人間は一般には著者ほどの知識は持ち合わせていないのだから。しかしあえて、作者への失礼を省みず、疑問点やら注文を書き綴ってみた。

まず、千利休の偉業はなにであったか、鑑識眼は確かなものだったのか、という点だ。ほめ言葉は多いが具体的なものがどこなのか。従来の室町茶道をあらためて、わび、さびに力点をおいた茶道を普及させたが、それで何がよかったのか、千利休流を普及できたのは、何も芸術性が優れていたわけではなく権力者とうまく結びつけたからだけではなかったか?鑑識眼についても同じ事が言える。千利休の鑑識眼のどこが確かだったのか、誰がそう感じたのか、やはり権力と結びついた故ではなかったか。

この作品は歴史上の主要な事件をかなり簡単に書いているように思う。三好長慶、松永弾正に伴う事件、堺の町と織田信長の確執、本能寺の変、秀吉の天下、関白秀長の死、北条攻め、この辺のことを背景に千利休の浮き沈みがあった。知っていることは当然といえばそれまでだが、いま少し突っ込んで書いて欲しかった。

また織豊政権が茶道を政治にどのように利用したのか、恩賞の不足に対応した茶道具の利用などもう少し突っ込んでほしかった。

茶道に対するキリスト教の影響については、どこまでそれが歴史的事実として認めるべきなのかどうなのか、どうも判断がつかない。作者の希望的観測でストーリーが作られても困る気がするがどうだろうか。

小田原攻略参加から切腹までの間の秀吉とのやり取りの中に感情的な行き違いがあるような気がする。私などは上述のいくつかの原因があるにせよ、ある時点で秀吉がひいきにしていた千利休を断罪することにした、そこになにか大きなきっかけがあった、と思うのだが・・・・。この辺の記述がやや物足りない気がする。

いろいろ述べたがしかし全体としては面白い。人間としての千利休に興味のある人は一読すべき本といえるかもしれない。通読することによって親しみがわくことは確実である。