新潮文庫
貴族のお嬢様しず子が書いた様に見せて書いた出だしが斬新である。蛇の卵を殺す話も印象に残った。
さて、あらすじ。終戦直後、貴族は、戦後の困窮と華族制の廃止により没落していった。わたしは母と二人暮らしだったが、叔父の世話で文京区西片の家を売って、伊豆の山奥に引っ込む。病に冒された母は弱り、食べる物もなくなってくる。そんな折り、南方で死んだと思われていた兄が、モルヒネづけになって帰ってきた。文学を志した事のある兄は、出版社をやるなどと言うが、やることは家の金を持ち出すだけ。生活は変わらない。
なんとかしなければいけない。私は流行作家になりながら、そのむなしさを知っている上原に好意をよせる。それしか生きる道がないとも考える。しかし上原には妻子がいる。最後の貴婦人として母が死んで行く。絶望した兄が「しょせん、僕には生きる力がない。」と自殺して行く。私は、恋しい上原のもとに押し掛け、その子を宿す・・・。
しょせん、人間は食っていかなければならない。そのためには、自分の主義主張に違うこともしなければならないかも知れない。そう言う戦後という厳しい新しい環境の中で、今まで安逸をむさぼってきた人々が、どういう道を選んで行くか、作者が自分自身に問いかけながら書いた作品のように見える。
そのまま死んで行く母、恋に生きるといえば格好いいが、古い道徳観念をひとまずおいて、生きるために妻子ある男を選ぶ主人公、僕は適合できないと自殺する直治、流行を追った作品は書けるが、それは自分の理想とした物とはほど遠いと嘆き、酒にうつつを抜かす上原、そういった四様の生き方を描いている。果たして作者はどれが正しいと考えたのだろうか。
この作品は昭和二十二年に完成した。同じ年、次女里子が誕生。翌昭和二十三年、愛人山崎富栄と共に玉川上水に入水。
・不良でない人間があるだろうか。味気ない思い。金が欲しい。さもなくば、眠りながらの自然死!(67P)
・三十。女には二十九までは乙女の匂いが残っている。しかし三十の女のからだには、もう、どこにも、乙女の匂いが無い、というむかし読んだフランスの小説の中の言葉がふっと思い出されて・・・(89P)
・革命も恋も、実はこの世で最も良くて、おいしいことで、余りいいことだから、大人の人たちは意地悪く私たちに青い葡萄だと嘘ついて教えていたのに違いないと思うようになったのだ。私は確信したい。人間は恋と革命のために生まれてきたのだ。(116P)
・この世の中に、戦争だの平和だの組合だの政治だのがあるのは、何のためだか、このごろ私にも分かってきました。あなたは、ご存じ無いでしょう。だから何時までも不幸なのですわ。それはね、教えてあげますわ。女がよい子を産むためです。(170P)
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