史記 2 司馬遷
ちくま学芸文庫 小竹文夫、小竹武夫訳
紀伝体とは、本紀や世家の年代記と個人の列伝を基本とする記述形式である。
史記はこの形をとっており、具体的には
本紀 30巻 歴代王朝の変遷をのべた年代記
表 10巻 列国の世系年代を記述
書 8巻 国家の諸制度・文化技術などの記録
世家 30巻 封建諸侯の年代記
列伝 70巻 個人の記録
これに対し「春秋左氏伝」や「資治通鑑」のような、年代記を中心としたものは編年体と呼ばれる。
第二巻は表と書である。
書は礼書、楽書、律書、暦書、天官書、封禅書、河渠書、平準書よりなる。
解説によれば、「礼書」、「楽書」は司馬遷の死後失われてしまったので、後人が「荀子」の礼論と議兵を参考に「礼書」、「礼記」の楽記編と「韓非子」の十過編によって「楽書」を補ったものという。また「律書」はもともとが「兵書」であったそうだ。
中では封禅書が面白い。
封禅とは帝王が天と地に王の即位を知らせ天下が太平であることを感謝する儀式である。
始皇帝以前には72人の帝王がこの儀式を行ったと伝えられる。三皇五帝によって執り行われたのを最初とするが詳細は不明。始皇帝は紀元前219年に泰山でこの儀式を行おうとして、儒学者等にやり方を聞いたが各自意見がまちまちで結局は我流で行ったそうだ。
泰山は山東省泰安市にある1545mの山。道教の聖地で五岳の中で最高のものとされており、世界遺産に登録されている。
ところが、秦の始皇帝や漢の武帝は、国家祭祀の美名の下に、封禅の儀を自分自身の不死登仙の願望を遂げる目的に使おうとする。そしてこの二人の皇帝の周りに群がる「胡散臭いゴマ摺り、阿諛追従の徒」の方士たちの生態が生き生きと描かれている。
ついで面白いのが河渠書。黄河を中心とする河川の治水、水利事業の歴史について記した書である。夏の禹葉洪水を鎮めること13年、家に帰らなかったという。水を安定させるために幾多の渠をつくり渤海に流しいれた。しかし本格的な治水事業がすすめられたのは,鉄器が普及し巨大な土木工事が可能となった戦国時代以降のようだ。春秋時代までの都市的集落は,洪水の危険を回避して河川から距離をおいた丘陵地に立地しているが、新しい都市(県)は,黄河下流の広大な平野部にも位置するようになってくる。
中国を始めて統一した秦の隣国、韓は、秦を疲弊させようと、水利技術者鄭国を送り込んだが、秦は逆に利用、おかげで秦は潤い、ついに諸侯を併せることが出来た。しかし治水はなかなか成功せず、武帝のときに黄河が決壊して大変苦労した。
表 :三代世表第一は、黄帝、帝センギョク、帝コク、帝堯、帝舜の五帝、次に夏=禹からけつ王まで17世、殷=湯王からちゅう王まで27世、周=武王からレイ王まで、11諸侯と共に書かれている。十二諸侯年表第二は周+魯、斉、晋など13諸侯系図。六国表第三(476-207)は、周+晋、魏、韓、趙、楚、燕、斉の系図。以下はずっと細かくなって秦楚之際月表第四(209-202)、漢興以来諸侯年表第五、高祖功臣候年表第六、恵景間候者年表第七、建元以来候者年表第八、建元巳来王子候者年表第九、漢興以来将相年表第十、と続いている。
090427