史記 3 司馬遷
ちくま学芸文庫 小竹文夫、小竹武夫訳
呉太白世家 紀元前585年―紀元前473年頃。周王朝初代武王の曽祖父古公亶父(ここうたんぽ)は、後継に末子季歴を選んだために長子太白、次子虞仲が蘇州周辺まで流れて行き開いた王朝。6代王闔閭の時代に強勢となり、名臣孫武、伍子胥を擁し当時の超大国楚の首都を奪い、滅亡寸前まで追いつめた。しかし新興の越王勾践に攻め込まれ闔閭は、子の夫差に復讐を誓わせ没する。夫差は伍子胥の補佐を受け、会稽にて勾践を滅亡寸前まで追い詰めたが、謝罪してきたため許す。勾践は呉に従うふりをして国力を蓄えて、復讐の機会を狙う。呉は、中原に諸侯を集め会盟(諸侯を集めて盟約を結ぶこと:牛の耳からとった地を互いに飲むことから牛耳るという言葉が出た)したが、勾践に首都を攻略され、滅亡する。
斉太公世家 紀元前1046年―紀元前386年頃。山東省を中心に存在した国。周建国の功臣、太公望によって建てられた。塩や鉄の生産で栄えた。15代桓公の時代に、管仲の補佐により強大になり、諸侯の主導を取るようになり、南の楚の脅威に対抗した。しかし桓公以後は後継争いが続き、覇者の地位は晋の文公に移ってゆく。386年陳からわたってきた田氏が斉の君主となった。これ以後を田斉と呼ぶ。
魯周公世家 紀元前1055年―紀元前249年。山東省南部に存在した国。周の武王の弟周公旦の子姫伯禽が封ぜられて成立。春秋時代に入ってからは晋・斉・楚などの大国に翻弄される。この地の出身者に孔子がおり、若年時代仕えていた。孔子以後三桓氏に事実上分裂し、一層衰えた。最終的には楚に吸収併合される。
燕召公世家 紀元前1100年頃―紀元前222年。河北省北部、現在の北京を中心とするあたりを支配。周二代目、召公は成王を周公とともに補佐したが、後に分かれて建国。春秋時代に入り、国が分裂したところに斉が侵略、昭王の時代に滅亡寸前まで追い込まれる。何とか復讐したいと郭隗を当用、其の策により楽毅率いる五カ国連合軍で斉を打ち破る。戦国の七雄に数えられるが、昭王死後は斉に領土を取り返され、最終的には秦に統一されてしまう。
管蔡世家 紀元前11世紀―紀元前447年。河南省上蔡県一帯を領有した。文王を補佐した武王の弟管淑鮮、蔡淑度をそれぞれ管、蔡に封じた事が始まり。その後蔡氏系統のみ残る。楚の恵王に攻められて447年に滅亡。
陳杞世家 紀元前1111年―紀元前479年。 河南省准陽県を中心に支配。五帝の一人、舜の末裔とされ、周の武王によって封ぜられた。強国楚に隣接しており、其の属国のような形であった。672年に詞の子公子完が斉に亡命し田氏を打ちたて、のちに斉を支配するようになる。結局楚の恵王によって攻められ、滅亡。
衛康淑世家 紀元前11世紀―紀元前209年。河南省の一部を支配。始祖は武王の弟康叔封である。殷の遺民たちが武王とは別の兄の管叔鮮に率いられて反乱を起こした後に殷の遺民を二分して、その一方を康叔封の民として衛に封じた。周の幽王が犬戎によって殺されたときに殊勲があり、公となった。以後は周辺諸国との折衝に忙殺される。660年に一度滅ぼされるが、斉の桓公の助力で復活。最終的には秦に滅ぼされる。
宋微子世家 紀元前11世紀―紀元前286年。河南省の一部を支配。襄公の時代に力をつけ、斉の桓公が亡くなったと諸侯を集めて会盟した。これに不満を持った楚と戦い惨敗した。(紀元前638年)後に晋の公子重耳を助けたことから、春秋中期に両国は助け合うようになった。しかし次第に国力を落とし、最終的には田斉によって滅された。
晋世家 紀元前1100年頃―紀元前378年。山西省に居を置いた。周の成王が、弟の虞を唐淑虞として封じ、始まった。この代になって国名を晋と変えた。11代昭公の時に分裂、後に曲沃に移った分家が勢力を伸ばし、主家に取って代わった。驪姫の乱で国外に逃れた重耳が戻ってきて文公となったころ、強大になった。しかし内紛で公族の力が弱まり、573年に詞が殺害され、周から悼公が迎えられると、趙氏、韓氏、魏氏など六卿が力を持ち政治を動かすようになった。453年にこの3氏が独立、晋はまったく力を失った。
楚世家 ?−紀元前223年。先祖は黄帝の孫高陽といわれ、湖北省、湖南省を中心とする広い地域を領土とした。6代目、荘王の時代に強力となり、晋の大軍を破るなどした。紀元前334年、11代威王は越を滅ぼした。戦国の七雄に数えられるが、秦が勢力をのばし、ついに滅ぼされる。その後始皇帝が死去し、秦が弱体化すると項梁が懐王の孫を要して一時的に西楚として独立した。
越王勾践世家 越は紀元前600-紀元前334年。浙江省の辺りにあった国。黄河流域の漢民族国家群と異質な種族と考えられる。紀元前515年、楚に遠征した隣国呉王闔閭の隙を突いて呉に侵攻。闔閭は戦死、その子の夫差が復讐の準備をしていると越王勾践は聞き、再び攻め入るが大敗、謝罪させられる。その後力をつけ、ついに紀元前473年に呉を滅ぼす。しかしその後力を失い無彊の代に楚の威王によって滅ぼされた。
鄭世家 紀元前806年―紀元前375年。河南省。周の宣王の同母弟が同地に封じられて始まる。幽王のとき、桓公が、混乱を恐れて遷都。武公、荘公は周の復権に尽力した。しかし強国であったものの、次第に晋と楚の二大勢力による争いに巻き込まれ衰退、没落して行った。
趙世家 紀元前453年―紀元前222年。晋は三軍の正将軍として六卿をおいた。しかし次第に力を増し、紀元前453年に趙無恤が、韓の韓虎、魏の魏駒とともに、晋を三分して独立したことに始まる。その軍隊は騎馬戦のエキスパートとして勇名を馳せたが秦の前に苦戦を強いられ滅亡させられた。
090427