神国日本    佐藤弘夫

ちくま新書


2000年5月当時の森首相が挨拶の中で「日本は天皇を中心とする神の国」と述べて物議をかもし、ついには首相退陣要求にまでエスカレートした。加地伸行編著「日本は「神の国」ではないのですか」を読んだことを覚えている。
この議論は、戦後一度命脈をたたれたように見えたが、まだ存在することを再認識させた。しかしインパクトは強いが、現代日本人にあらためて「神国思想とは何か」と聞くと答えはまちまちである。この書はその問いにかなり学問的に答えようとする。

古代日本は有力氏族がそれぞれの神話を持ち神を祭っていた。それが大化の改新を経て天武天皇により天皇を中心とする集権国家へと大きく変貌してゆく。この段階で神々が再編され伊勢神宮、天照大神を頂点とする国家社、国家神が誕生しピラミッド型秩序となった。神祇制度が大幅に改定され主要な神社は官社として登録された。
十世紀頃になると古代律令制度が解体し始めた。朝廷は全国規模での神社の統括を断念し、22社制度を作ったが食い止められなかった。公家が荘園獲得競争に走る中、神々もまた荘園を持ち領主となって言った。伊勢神宮の絶対的権威は消滅した。そんな中で神社と寺の関係が逆転し、宗教界は仏教中心になった。

本地垂迹説が説きだされた。神々は仏(本地)が天竺(インド)から遠く離れた「辺土」にある日本の人々を救済するために、仏が姿形を変えてこの世に現れたものである・・・。背景には彼岸表象の肥大化と浄土信仰の流行があった。この世は所詮仮の宿りに過ぎない。来世こそ大切で現世の生活のすべては往生実現にむけられなければならない。

武家社会になると、蒙古来襲を契機に本地垂迹説を延長し「神々が守る神国日本を人知や人力で対抗できるはずがない」との思想が強く打ち出された。「神皇正統記」では日本は神国で「異朝にそのたぐいなし」とされた。ただ天皇は濃厚な宗教性をまとった機関にすぎず、ふさわしくなければ退位せられて当然であった。これらの神国思想は異朝に対する日本の優越性を述べたものではなく、仏が神として垂迹し、その子孫が君臨しているという意味での「神国」は日本だけ、という意味である。
法然、日蓮等の新仏教は国家権力や旧仏教側から徹底した弾圧を受けた。これは誰でも本地の弥陀の本願に乗じて、平等に極楽浄土にゆけるなどとしたためで、本地垂迹説にもとづき荘園的支配を続ける支配層に対する反逆と考えられたからである。
織豊政権の頃には客観的実在としての彼岸世界が説かれ、それが民衆に受け入れられ、一方で支配層に利用された。しかし宗教勢力は壮絶な戦いの末、武家統一政権にひざまづくこととなった。織豊政権はキリスト教弾圧に際してもこの日本神国論を主張した。

江戸時代に入ると彼岸や他界浄土思想は影をひそめ、変わって儒教倫理が浮上してきた。その中で神国思想は日本の一方的優越思想に変貌して行った。
江戸後期になると、天皇を中心とする神国・神州意識が高揚し、明治維新をへて近代にまで引き継がれてゆく。維新政府は神国=天皇の国という基本線は継承しながら、「神仏分離例」により仏教の影響を排除しようとした。天皇を中心に据え、その権威を支える神々によって日本を再構築させようとする新政権にとって、本地垂迹説の神が仏の下に来る、ということで不都合きわまりなかったのである。しかしそこにはみずからのうちに日本を相対化するような余地はなかった。独善的な自尊意識を踏まえて、周辺国の侵略を正当化するようなタイプの神国思想の到達がもはや目前でせまっていた。

今日ナショナリズムは世界各地で激しい炎を噴き上げている。日本でも今後ナショナリズムの問題は人々の関心を集めてゆくに違いない。そういった中で神国思想について、蛇蝎の如く嫌って口にすることもはばかる人々と、それを「日本人の心の支え」にすべきだ、とする人々の間で議論がうずまき、冷静な議論が出来る状態になっていない。このことは誠に不孝な状況といえよう。

060513