中公文庫
死者の書
大津皇子は、天武天皇の王子で、父の死後、なさぬ仲の母である持統天皇に疎まれて、反逆の罪を着せられて殺された。その遺骸は大和と河内の境にそびえる二上山に葬られた。約100年後、その霊が墓穴の中でめざめる。彼は現世で耳面刀自に思いをよせていた。霊は、彼女に似た藤原南家の郎女、普通に中将の姫と呼ばれる女性に恋をする。
彼女は、ある晩ふと南家を飛び出し、山野をさ迷い歩いた後、当麻寺にいたる。霊は風となって彼女の閨を訪う。南家からの帰還要請も断って、やがて郎女は蓮糸を織り始める。そしてそれが完成したころ極楽往生をとげる。
山越しの阿弥陀像の画因
山越しの阿弥陀像はいくつかの作品に見られるが、その元にある思想について考察した作品。作者は「渡来文化が、渡来当時の姿をさながら伝えていると思われながら、いつか内容はわが国生得のものといれかわっている。」例として捉えている。日本古来の風習として、日迎え、日送りという風習があった。この日想観が仏教の中で捉えられた、と考えるている。
身毒丸
附言に「この話は、高安長者伝説から、宗教倫理の方便風な分子をとりさって、最原始的な物語にかえして書いたものなのです。」とある。
身毒丸の父は田楽師であったが、先祖から持ち伝えた悪い病気が出たために、姿を消した。そのため身毒丸は幼いときから身を浄く保つようにこころがけた。伊勢の関で、田植え踊りがあったとき、身毒は傘踊りという危ない芸を試みたが、これに長者の妹娘が目をつけた。これを見つけられ、身毒丸は師の源信法師から血書にて写経をせよと責められる。「さあ、これを血書するのじゃぞ。一豪も乱れた心をおこすでないぞ。」しかし五度の写経を見せられたとき、源信はもう叱る気をなくしていた。身毒丸の悩みは残ったままである。自分もまた父と同じように姿を消すべきか。