新潮文庫
表紙裏の宣伝に以下のようにあるがこの本の論点を著している。
「口に出せないことばかり。タブーまみれの日本史。そこでおいらが集中講義をやるはめになった。戦前までは無理と意地。戦後は効率と無責任を金科玉条に日本人はなりあがる。高度成長以降は、貧を忘れ品を失った。自由と我儘、平等と横並びを履き違え、いまや摩訶不思議な大国となった日本!日露戦争からオウム事件まで、北野教授が開陳する、文部省検定不能、新訂・日本史教科書!」
戦前の日本の原点は日露戦争という指摘は正しい。
「当時の日本がおかれた状況はまさに「興国の興廃この一戦にあり」で負けたら植民地にされていたわけだろう。下手したらこの国はいまだにロシア連邦の中の「ニッポン自治共和国」か「日本民主主義共和国」なんかだったんじゃないか。もちろん、平和憲法なんてノンキなものは持ってるはずもなかった。」(11p)
明治維新は重要だが、欧米から見れば極東の小国家がやっと自覚したに過ぎない。しかし日露戦争は大変だ。負けるわけがないと考えられた白人の大国、ロシアが形がどうであれ、負けたのだ。日本は列強の仲間入りをして得意になり、アメリカはこの時点ですでに将来日本と戦う可能性を想定して対策を練り始めたという。それほど衝撃的事件なのだ!
ところが日本の教科書には東郷平八郎も乃木希典も広瀬武夫も登場しない、おかしいんじゃないか・・・・その通りである。彼らの登場しない教科書など日本の原点を忘れた教科書、と言われても仕方がないだろう。
太平洋戦争後における変わり身の早さの指摘ももっともである。
「出て来い、ニミッツ、マッカーサー」なんて言っておきながら、いざマッカーサーが支配者として厚木にくると「マッカーサー閣下」になってしまう。不思議にアメリカに対する怨念が感じられない。戦争で旦那が殺されたり、息子を失った人たちだってたくさんいるはずなのに・・・。」
これもそのとおりだ。今のイラクとどう比較して考えるべきなのか。
この文の続きとして読みたいのだけれど次の指摘は鋭い。
「この50年間、実は日本人は戦争や戦後について、ほとんど考えていなかったんじゃないか。・・・・ほとんどの人たちは終戦を境にがらっと変わって、戦争のことなんか頭の片隅に追いやってしまったんじゃないかな。」(164-5p)
「憲法だって、50年間何も考えていなかったから今があるわけだよ」とし、よそからのもらい物と言うことで高円寺の阿波踊りを思い出すとしている。
憲法を「不可侵」なままおいておきながら、
「自衛隊については何もいわない。自衛隊の存在を無視して「不戦決議」をやる。ジャ、自衛隊は何のためにあるんだなんていい出したらにっちもさっちもいかない。」
安保なんかも今この本を読むと改めてあれは何だったのか、と考えさせられる。
「当時は安保騒動一色だったという。それでいて安保が何なのかは誰にもわかっていないらしい。単なる流行言葉で飛びついた学生も、多かったんじゃないか。」
今当時の運動をした学生に聞いてみたいものだ。安保反対は正しかったのか。正しい、と固執する御仁がいるとすれば化石人間として博物館にでも入れたい。
この書はもちろん結論はない。しかし次のような指摘はそれに近いものかもしれない。
「ようするに日本人が日本人でなくなった元凶は、憲法だよ。何でもかんでも権利を認め、自由に振舞えるようにしてしまった。」(194p)
「このまま時代がすすんでいくと、この国は全部アメリカに吸収されちゃう可能性があるね。いっそ根こそぎ持っていかれればいいんだ。」(198p)
著者は昭和22年、東京生まれ。浅草フランス座できよしと漫才コンビを組み、漫才ブームを引き起こし、一躍人気者になった。その後、プロとしてテレビやラジオに出演、多彩な芸を生かして著述業、さらには映画監督として世界的な名声を博す。最近「座頭市」でまたカンヌ映画祭で賞をとり、話題を呼んだ。透徹した目で時代を眺めたこの著作は10年近く立った今でも日本の原点を見つめる上で価値があるように思われた。